2006-01-01から1年間の記事一覧

強化人間の失われた記憶

昨日に引き続いて、『機動戦士Zガンダム』について少し。 僕は以前から思っているのだが、セカイ系の起源のひとつとして富野由悠季を想定することができるように思う。特に典型的であるのが強化人間についての設定で、そこで記憶の問題が扱われていることが…

魂の次元

『機動戦士Zガンダム』のTV版を最後まで見終わった。劇場版も全部見たので、まとまった感想を書こうかとも思ったのだが、それほど気力がないので、部分的な感想をいくつか書いてみたい。 まず、TV版の最終回に出てくる戦死した人たちの描写について。富野由…

信頼と不信

この前『GANTZ』について少し書いたが、この前提示した視点から『GANTZ』を見ていくと、この作品のテーマとでも言うべきものがよく理解できるような気がする。つまり、この作品は、人と人との繋がりを問題にしている作品だ、ということである。 そもそも、そ…

街の持つ意味

『Fate/stay night』のアニメについて少し。 この作品のバトルロワイアル形式については、以前に少し書いたので、改めて書くことはしない。この作品を見ていて、少し興味深く思ったのは、そこでの街の描写、街が持つ意味とでもいうべき側面についてである。 …

世界から世界へ、場所の移動

昨日に引き続いて、場所の移動に関して少し書いてみたい。 場所の移動という観点から見るならば、異世界ものの作品も、違ったふうに見ることができるように思える。つまり、場所の移動という点で言えば、異世界に行くことも、未来や過去に行くことも、他の土…

冒険、旅、お出かけ

昨日、『西の善き魔女』を見ながら考えたことがある。それは、言ってみれば、アニメ作品における空間分節とでも言うべき問題である。これは、別に、アニメに限る話ではないのだが、登場人物たちが土地から土地へ場所を移動する、そうした移動というものに注…

戦時下での平時

アニメ『Soul Link』を見ていて、少し気になるところがある。それは、このアニメ作品から、まったくと言っていいほど、緊張感が感じ取られない点である。 作品のストーリーから考えるのであれば、この作品には、当然のことながら、緊張感が溢れているはずで…

学校の重苦しい雰囲気

学校というものについて少し。 現在のサブカルチャーについて考えるとき、学校というものは、無視することのできない重要な要素だろう。学校を舞台にした学園ものの作品はたくさんあるし、そうした作品においては、学校での日々の生活や学校行事というものが…

データ化、デジタル化

昨日に引き続いて、『うえきの法則』について、もう少し。 『うえきの法則』を見ていて非常に気になるところがあった。それは「才」というものについてである。これは、言ってみれば、才能のようなものであって、例えば、「勉強の才」を持っていると勉強がよ…

不信のまなざし

『うえきの法則』について少し。 アニメを見ていて思ったことは、この作品は、間違いなく、相対主義の時代の作品だ、というものである。つまり、何が正しくて何が間違っているのかがはっきりしなくなった時代に、絶対に正しいものがあるとすればそれは何か、…

終わる「私」の世界

昨日、隕石が落ちるとかで、ネットでいろいろと話題になっていたが、こうした終末の雰囲気は、サブカルチャーの問題と密接に関わるところなので、少しコメントしてみたい。 今回の騒動を語るための二つの観点がある。ひとつ目は、大きな物語と大状況という観…

他者の欲望との折り合いのつけ方

最近、高野文子の『るきさん』をペラペラと読み返しているのだが、やはり、るきさんの生活には憧れるところがある。非常に豊かな生活を送っているという気がするのだ。 これは、例えば、村上春樹の小説を読んでいても思うことなのだが、そこで、街の風景等、…

団地の魅力

大友克洋の『童夢』を読んだ。 このマンガは団地を舞台にしているが、僕は、このマンガで描かれている団地の雰囲気が非常によく分かる気がした。僕は、別段、団地に住んだことは一度もないのだが、小学生のときの友人が団地に住んでいて、その友人の家によく…

『耳をすませば』について(15)

前回予告した通り、今回で、ひとまず、『耳をすませば』についての話は終わりにしたい。 僕が『耳をすませば』という作品を取り上げて強調したかった点は、そのファンタジーの形態にある。言い換えれば、『耳をすませば』とは、ファンタジーがいかにして生じ…

『耳をすませば』について(14)

場所とアイデンティティとの関係について、ここ数回にわたって問題にしてきた。場所というものに着目することが、近年のサブカルチャー作品を見ていくにあって、重要な観点となるだろう。場所の移動や風景の変化というものは、そこにいる登場人物のアイデン…

『耳をすませば』について(13)

前回も、いくつかのアニメ作品を通して、場所とアイデンティティとの関係を考察してみた。前回問題にしたかったことは、『十二国記』で端的に描かれているような「ここは私の場所ではない」という感覚である。その点で、「ここではないどこかに」、本当の「…

『耳をすませば』について(12)

前回は、場所の問題から出発して、今日のサブカルチャー作品に顕著に見出すことができる三つの立場を概観してみた。そこで、まず、大きな対立線が引かれるのは、新自由主義的立場と互酬的共同体との間の対立である。この対立は、しばしば、再開発の波に脅か…

中心化された物語から部分的な要素の星座へ

80年代アニメの土壌 http://d.hatena.ne.jp/ashizu/20051023 実は、数ヶ月前から、このブログにアクセス解析を導入しているのだが、その結果、上記のエントリーが比較的よく見られていることが分かった。Yahoo!などで「80年代アニメ」などと検索すると、上位…

『耳をすませば』について(11)

前回は、場所とアイデンティティとが密接な関係を持つということから、風景の問題を提起した。「私が何者であるのか」ということは、「私がどこにいるのか」ということと密接な関係を持っているのである。現代の問題は、それゆえ、場所の喪失によって引き起…

『耳をすませば』について(10)

前回は、『耳をすませば』を見ていくための重要な視点として、ノスタルジーの問題を提起した。「カントリーロード」の歌によって喚起されるようなノスタルジーである。『耳をすませば』は、基本的に、ファンタジー作品であるが、そこに、一緒に、ノスタルジ…

『耳をすませば』について(9)

前回は、穴や線といったキーワードに基づきながら、現実世界と異世界との関係を素描した。異世界と現実世界との関係において重要なのは、そこにある切断と、切断された二つの世界の接着である。現実世界から何かが切り離され、それが再び、現実世界にくっつ…

『耳をすませば』について(8)

前回は、再会という主題から出発して、『耳をすませば』に見出すことができる恋愛の主題を問題化した。恋愛において再会という要素がそもそも本質的である、というのがそこでの話である。それゆえ、『ラーゼフォン』で描かれていたような二度目の恋愛(一度…

『耳をすませば』について(7)

前回は、再会という主題から『耳をすませば』という作品を見ていった。『耳をすませば』という物語、とりわけ、雫の書いた「耳をすませば」という物語において、重要なテーマになっていたのは、この再会という主題である。 さて、今日もまた、この再会という…

『耳をすませば』について(6)

前回は、『耳をすませば』から少し離れて、『トップをねらえ!』などの作品を取り上げながら、セカイ系的な問題構成、とりわけ、再会についての問題を扱った。再会は、記憶と時間に関わる出来事である。誰かとの再会が可能であるためには、その誰かと一度会…

『耳をすませば』について(5)

前回は、アニメの『耳をすませば』とマンガの『耳をすませば』とを比較することによって、雫の創作活動がどのような意味を持っているのか、ということを問題にした。アニメにおいて、雫の「書く」という行為には、試しという側面が非常に強いものであった。…

『耳をすませば』について(4)

前回は、物語を読むことから書くことへの移行に焦点を合わせる形で、『耳をすませば』のストーリーを追っていった。物語を読むことから書くことへの移行をどのように評価することができるのかという点が、この『耳をすませば』という作品をどういった方向か…

『耳をすませば』について(3)

前回は、物語という観点から、『耳をすませば』という作品を問題にした。『耳をすませば』という作品は、物語というものが三つのレベルで問題になっている作品である。ひとつ目は、物語を書いたり読んだりする対象のレベル。二つ目は、物語を生きる実存のレ…

『耳をすませば』について(2)

前回は、非常に大まかな形で、『耳をすませば』という作品をどういった方向から問題にするのかということを提示しておいた。今回から、具体的に、論を展開していきたいが、まずは、物語という観点から出発したい。 僕は、物語というものを考えるときに、いつ…

『耳をすませば』について(1)

予告通り、今日から『耳をすませば』について問題にしていきたい。まずは、なぜ今『耳をすませば』を語るのか、ということから語っていきたい。 アニメ『耳をすませば』が公開された年は1995年である。この年に公開・放送された作品で他に注目に値するものと…

今後の方針

非常に唐突であるが、昨年の7月くらいから行なってきた連載形式のエントリーは前回までで、ひとまず終わりにしたい。そして、次回からは、新しい形式で連載を続けたいと思う。 今までの連載形式の問題点は、取り立てて、何も、中心になるような作品なりテー…