強化人間の失われた記憶

 昨日に引き続いて、『機動戦士Zガンダム』について少し。
 僕は以前から思っているのだが、セカイ系の起源のひとつとして富野由悠季を想定することができるように思う。特に典型的であるのが強化人間についての設定で、そこで記憶の問題が扱われていることが興味深い点である。
 フォウ・ムラサメも、ロザミア・バダムも、記憶を奪われた人間として登場する。記憶がアイデンティティの問題と関わることは、以前にも何度か書いたことであるが、フォウのように、自分の失われた記憶を探し求めるという設定は、注目に値する。
 ここでの注目点は、自分の記憶を奪われているという記憶がある、というところだろう。これは、偽の記憶を自分の真の記憶と取り違えているという模造記憶の問題とは、まったく別の射程を持った問題である。つまり、そこで探し求められているのは、まさに「本当の自分」とでもいうべき真のアイデンティティであり、こうした真のアイデンティティの存在が、記憶の不在を通して、彼方に想定されているのである。
 強化人間は、最近の『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』にも出てくるが、現在はともかくとして、20年前に同様の設定が提示されていたという点が非常に驚くべき点なのである。しかし、そこには、やはり、差異があることだろう。『DESTINY』において、とりわけ、ステラという登場人物において描かれていたことは、新しい記憶がすぐに消去されてしまうということ、つまり、他人と新たに関係を築くことができないということであった。この種の記憶の問題は、最近、小説や映画でも描かれていることであるが、そこでの狙いのひとつは、われわれの存在というものが、他者とのコミュニケーション関係の産物であるということを強調することにあるだろう。ステラの記憶が消失されることによってショックを受けるのは、彼女と恋愛関係にあったシン・アスカのほうであり、フォウとは対照的に、彼こそがステラの失われた記憶を探し求めていると言えるのである(だが、こうしたことは、『Zガンダム』においてもすでに描かれていることなのだが)。
 記憶の問題は、知るということと密接な関わりを持っているわけだが、この問題が複雑かつ重要であることは、推理小説を一読すれば理解できることだろう。非常に簡単に言ってしまえば、犯人とは、記憶を消そうとする者のことである。というのも、誰もその犯行について知らなければ、その犯罪はなかったも同然になるからである。逆に、探偵とは、そこで消された記憶を想起しようとする人物だと言えるだろう。記憶は消されてしまっているが、記憶を消したことの痕跡は残っている。探偵は、その痕跡から、最初に書かれたものを読み取ろうとするのである(このことは、『MONSTER』において、痕跡をなぞるというルンゲ警部の振る舞いにはっきりと現われている)。
 それゆえ、記憶は、ひとつの書かれたものだと言えるだろう。その点で、それは、ひとつの参照項となるものだが、今日の問題とは、その書かれたものが個別化しているという点にあるだろう。言い換えれば、痕跡を読み取るためのコードが個別化されているということである。その点でこそ、極めて近しい他人の存在が重要視されるのであり、自身の記憶を解読させる他人の存在というものが必要になってくるのである。