『耳をすませば』について(6)



 前回は、『耳をすませば』から少し離れて、『トップをねらえ!』などの作品を取り上げながら、セカイ系的な問題構成、とりわけ、再会についての問題を扱った。再会は、記憶と時間に関わる出来事である。誰かとの再会が可能であるためには、その誰かと一度会ったことの記憶が必要である。それゆえ、われわれは、忘却によって、誰かとの再会をそれとして認めないことが間々ありうるわけである。


 また、再会と時間との関係は、再会の主題を非常に複雑なものにする。再会可能性というファクターを導入すれば、再会という出来事は、様々な時間の軸に位置づけられる。つまり、「もはや再会することができない」とか、「再会する可能性がある」とか、「再会することはできなくなっているだろう」とか、再会は、時間という要素を導入して、初めて可能になる出来事なのである。


 さて、『耳をすませば』においても、再会という主題は極めて重要なものである。再会の問題が提起されているのは、まず第一に、猫の人形バロンの物語においてである。バロンは、西老人が戦前、ドイツで購入したものであるが、それと対になる恋人の人形と離れ離れになってしまった。西老人は、すぐに日本に帰らなければならなかったので、バロンだけを持ってドイツを離れた。しかし、その後、戦争が始まった結果、二つの人形が再会することができなくなってしまったのである。


 マンガ版において、バロンの恋人は、まだ製作途中であり、それが完成次第、日本に送ってもらうことになっていた。しかし、アニメ版のほうでは、単に修理に出されているだけで、ここにもうひとつの再会の問題が付け加えられる。つまり、アニメ版においては、西老人に、バロンの恋人を送る約束をしたのは、店の人ではなく、西老人の恋人だったのである。


 バロンとその恋人とが再会するとき、西老人とその恋人も再会することになるというこの再会の二重化は、西老人の役割を非常に大きなものにしている。それが、マンガをアニメ化するときに加えられた大きな変更点である。物語の中盤くらいで、聖司はイタリアに行ってしまい、その空白期間、代わりに雫の相手をしているのは、この西老人なのである。


 さて、こうした再会の主題は、さらに何重にも重ね書きされることになる。まず第一に、それは、雫の書く物語の中で反復される。いったい、雫がどんな物語を書いたのか、その詳細ははっきりしないが、何度か描かれるその断片から、ある程度の方向性だけは掴み取ることができるだろう。


 まず、アニメ版のほうであるが、その物語は、明らかに、雫の「自分探し」の主題と重なる物語だったことだろう。西老人にバロンを主人公にした物語を書く許可を得に行ったときに、西老人は宝石の原石を雫に見せるわけだが、その帰り道、雫は、その原石から鉱脈のことを連想する。「ラピス・ラズリの鉱脈」である。


 いったい、なぜ、そこで探し求められる宝石がラピス・ラズリなのか、それはよく分からないが、その宝石を探す旅が、自分の才能を探し求める旅と重ね合わされていることは間違いないだろう。というのも、雫は、雛鳥を死なせてしまうという夢を後に見るからである。バロンの「早く、早く」という声に急き立てられて、夢の中の雫は、鉱山の中で、原石を探して駈け回る。原石はたくさんあるが、「本物はひとつだけ」しかない。最終的に、雫は、本物の原石、つまり、自分の真の才能を見つけるわけだが、しかし、時すでに遅く、その才能の芽(雛鳥)は死んでしまっていたのである。


 こうした自己発見の旅と共に、バロンが恋人を探す話も同時に描かれていたのだろう。バロンとその恋人のルイーゼは、離れ離れになってしまっていた。これは、実際のバロンと同じ状態である。この点を西老人は「不思議な類似」と呼んだわけであるが、その類似の最たるところは、バロンの恋人と西老人の恋人の名前が同じルイーゼである点だろう。ここから、この作品においては、バロンの恋人と西老人の恋人とが重ね合わされていることが理解される。そもそも、この女性二人は、ほとんどその性格描写がなされておらず、単に、バロンと西老人が待っている恋人という機能的な役割を担わされているだけである。


 他の重ね合わせについて見てみれば、非常にはっきりしているのは、雫と雫の書く物語に出てくる女の子との重ね合わせである。雫の物語に出てくる女の子には名前はないが、その顔は雫とそっくり同じである。これは、マンガも同じであるが、つまるところ、雫の書いた物語というのは、自分がファンタジーの世界で冒険するというものだったのだろう。


 この点は、マンガ版のほうが、もっと明確に描いている。マンガのほうの雫の書いた物語では、その最初の場面は、雫とバロンとが手を繋いで地球屋から冒険の旅に出発する、というものである。つまり、そこでは、地球屋という骨董品屋が、冒険の道具を揃えるための店になっているのである。


 この最初の場面は、その少し前に雫が見た夢の場面とそっくり同じである。その夢は、杉村から告白されたあとに見た夢だったことを考えれば、非常に重要なシーンである。というのも、杉村からの告白は、アニメのほうではっきりと描かれているように、ひとつの終わりを決定づける区切れだからである。アニメにおいて、杉村から告白されたあと、雫は地球屋に行き、猫のムーンに向かって、自分が物語にワクワクしなくなったことを告白する。つまり、ここで、雫は、ひとつの危機を迎えているのである。


 こうした危機は、マンガにおいては、バロンが地球屋から連れ出される、という夢で表現されている。そのとき、バロンは少女に手を引かれて、店を去っていくわけだが、この少女が実は自分自身だったということを、事後的に、雫は発見するのである。つまり、それは、「バロンが連れ去られること」から、「バロンと共に旅に出ること」への移行であり、これは、物語にワクワクしなくなったことから、物語を自分で書くことによってワクワク感を取り戻していこうという移行と完全に一致する。つまり、危機的な状況から、その危機を回避したことが、この一連の場面で描かれていることなのである。


 さて、雫の書いた物語であるが、マンガ版のほうのテーマは、「自分探し」という側面がほとんどなく、そこにあるのは、再会のテーマだけである。最後のページのひとつ前のページの大コマが極めて重要である。そこでは、まず、下のほうに、三組のカップルが描かれている。雫と聖司、雫の姉と聖司の兄、そして、黒猫のルナとムーンである。こうしたカップルたちの上に、バロンがその恋人と再会したシーンが描かれているのである。おそらく、このバロンとその恋人との再会のシーンが、雫の書いた物語のクライマックスなのだろう。


 しかし、「幾多の困難を乗りこえて、いつか、必ず、めぐり逢う恋人たち」という言葉と共に、このラストシーンを読んだとき、そこで提示されているものの意味を読み取ることは、非常に難しいものとなる。つまり、そこでは、バロンとその恋人とが再会したというだけではなく、雫と聖司もまた、再会したことが暗示されているからである。この再会の意味合いを汲み取るのは非常に難しい。それは、恋愛の問題と密接に関わるものである。


 この点については、次回、問題にすることにしたい。