2006-07-01から1ヶ月間の記事一覧

娯楽ではないようなアニメについて

これまで、このブログで、いろいろなアニメについて語ってきたが、そもそも、アニメを見るということがどのようなことなのか、とりわけ、現代の日本でアニメを見るということがどのような意味を持っているのか、ということを少し考えてみたい。 まず、娯楽と…

冒険ものの困難、副次的なものの重要性

『タイドライン・ブルー』と『銀色の髪のアギト』という、飯田馬之介の関わっている二つのアニメ作品を見て、僕は、何というか、ある種の不十分さを感じた。やりたいことが十分にやられていないというか、構想と実際に実現したものとの間に大きなギャップが…

交換不可能な全体的なもの

アニメ『極上生徒会』で描かれているもの、それは、一種のアジール(避難場所)だと言える。そこにあるのは、ユートピアとしての場所、理想としての場所であるが、重要な点は、そのような場所が人為的に作られたということである。 私立宮神学園という場所は…

『機動戦士ガンダムSEED』とバトルロワイアル状況

『機動戦士ガンダムSEED』の世界観が、911以後の国際情勢を踏まえた上で作られていることは明白である。地球連合とザフトとの闘いは、アメリカのアフガニスタン侵攻、あるいは、イラク戦争を彷彿とさせるだろう(世界が二分して争っているという点では、冷戦…

『機動戦士ガンダムSEED』における遺伝子操作のテーマについて

昨日は、『機動戦士ガンダムSEED』とセカイ系との違い(と類似点)を大雑把に見たので、今日は、もう少し細かいレベルで、『SEED』について語ってみたい。いくつかトピックを上げて問題にしてみたいが、今日のところは、遺伝子操作というテーマに関して主に…

『機動戦士ガンダムSEED』とセカイ系

2000年以降のサブカルチャー作品で、『機動戦士ガンダムSEED』とその続編である『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』とは、非常に重要な作品であると言える。その理由は、この二つの作品が、小状況を描いた作品が主流である中で、徹底的に大状況に焦点を合わせ…

ダークサイドと弱さ

先日、『DEATH NOTE』の映画を見たので、それに関連して、このマンガについて少し書いてみたい。 以前にも少し書いたことがあったと思うが、このマンガのテーマは、端的に言って、日常生活の退屈さであるように思える(これは『涼宮ハルヒの憂鬱』のテーマで…

相対化の果てにあるもの

アニメ『スピードグラファー』を最後まで見た。その最終回を見ながら思ったのであるが、今日の社会において、「敵」の存在を特定することは、非常に難しいことであるように思う。自分が何らかの不満を抱いており、被害を受けているという実感はあるものの、…

身体感覚、ギャップをもたらす他者の存在

セカイ系の諸作品は、「私」の大きさを測る物差しそれ自体を問題にしていると言える。つまり、ここでの問題点とは、尺度がはっきりとしないことである。鏡の比喩を用いれば、セカイ系の世界とは、鏡のない世界、自分自身の大きさというものを上手く把握する…