2006-08-01から1ヶ月間の記事一覧

『つよきす』の監督と『まほらば』の監督

「はてな」のキーワードを見ていて、今更ながらに、『つよきす Cool×Sweet』の監督が『まほらば』と同じ人(木村真一郎)であることを知った。 木村真一郎が監督した作品は、残念ながら、『まほらば』以外は、ほとんど見ていない。だから、総体的な視点から…

『あらいぐまラスカル』と人間の生活

『あらいぐまラスカル』を全話見終わった。この作品は、世界名作劇場の中でも、かなり異色の作品ではないかと思った。 『ラスカル』を特徴づけるものは、そのリアリズムにある。『ラスカル』のエピソードは、もちろん物語化されているが、しかし、そのベース…

『ゲド戦記』が面白くない理由――映像作品における監督の役割

アニメ『ゲド戦記』を見た。『ゲド戦記』については、すでにネットでかなりの言及がなされているが、そうした評判をいろいろと見た上で、今回見に行ったわけである。『ゲド戦記』にまつわるネットの話題は、作品の内容についてのもの以上に、監督の宮崎吾朗…

あるペシミズムについて――ミシェル・ウエルベック『素粒子』

ミシェル・ウエルベックの『素粒子』という小説を読んだ。この小説は、一読して、非常に現代的な小説であると思った。これほど現代的な小説を読んだことは、ここ最近なかった。映画にしろ、何にしろ、他のジャンルにおいても、それは同じである。 この小説の…

東映アニメの50年

先日、横浜にある放送ライブラリーで催されていた東映アニメーション50周年記念展に行ってきた。大した展示物はなかったが、アニメーションの歴史について考えるいい機会にはなった。そこで、東映のTVアニメについて、少し概観してみることにしたい。 60年代…

『ゼロの使い魔』のOPで、なぜルイズは怒っているのか?

『ゼロの使い魔』のオープニングを見ていて、いつも疑問に思うことがある。それは、OPの冒頭で、ルイズが才人に対して怒っている理由がよく分からない、というものだ。OPの最後のほうでもルイズは才人に対して怒っているが、そこでの怒りの理由は明白である…

回顧的モノローグとその効果

数週間くらい前から、アニメ『ハチミツとクローバー』に、ある種の回顧的視点が明確に導入されてきたが、回顧的視点が醸し出す雰囲気というものは間違いなくあるように思う。例えば、『NANA』がそうで、アニメの場合、オープニングの前に、ハチのモノローグ…

GONZOスタイル

実を言うと、数週間前に、『ブレイブストーリー』の映画を見に行ったのだが、途中で眠くなってしまって、内容を正確に掴むことができなかったので、ブログにこの作品の感想を書くことは控えていた。しかしながら、映画を見る前に少し思ったことを書けば、こ…

『オヨネコぶーにゃん』のエンディング曲

アニメの主題歌は、ある時期まで、オープニング(OP)の曲とエンディング(ED)の曲との振り分けのようなものが明確にあったように思う。簡単に言ってしまえば、OPが明るい曲なのに対して、EDが暗い曲、OPがテンポの早い曲であるのに対して、EDがゆっくりと…

帰ってきたヤマト

先週の深夜、TVで、劇場版『宇宙戦艦ヤマト』が放送されていたが、それを見て思ったことを少し書いてみたい。 以前、同じような時間帯に、『さらば宇宙戦艦ヤマト』が放送されていたが、前回も今回も、映画『男たちの大和』に関連しての放送だったらしい。『…

スーパーロボットを巡る男の子の問題

スーパーロボットからリアルロボットへ、という話をよく聞くが、しかし、そもそも、スーパーロボットの代表格である『マジンガーZ』とそれ以前の『鉄人28号』との間にも大きな違いがあるように思える。その違いというのは、ひと言で言えば、鉄人が遠隔操縦で…

『銃夢 Last Order』の物足りなさ

木城ゆきと『銃夢 Last Order』の第9巻を読んだ。今回の巻でヴィルマの昔話は一段落がついた形になったようだ。 それにしても、『Last Order』は、前作の『銃夢』と比べると、メリハリの欠けた作品になってしまったと言わざるをえない。話のメインはバトルに…

ひきこもりからオタクへ――『N・H・Kにようこそ!』が問題提起していること

アニメ『N・H・Kにようこそ!』を見ていて思ったことがある。それは、主人公の佐藤達広はオタクではない、ということである。この点は、一見するとどうでもいいことのように思われるかも知れないが、おそらく、本編の内容と密接に関わっていることだろう。と…

『時をかける少女』のタイムリープについて

タイムリープ。過去に戻ってやり直すということ。これは、作品の中で明確に描かれているように、非常に深刻な結果をもたらす行為である。われわれは、多かれ少なかれ、自分の力を超えた何か、運命の力とでも言うべきものを想定することによって、そうした深…

『時をかける少女』を見て――第一印象

いまネットで話題の劇場アニメ『時をかける少女』を見た。この作品の詳しい分析や解釈については、明日以降、行ないたいと思っているので、今日のところは、映画を見た第一印象を述べてみたい。 まず、この作品の素晴らしかったところは、人物が非常にリアル…

話題にならないアニメ

ネットで話題になるアニメとそうでないアニメがあるように思う。例えば、『格闘美神 武龍』などは、ほとんど話題にならないアニメだろう。話題になるかならないかは、アニメのクオリティの高い/低いに比例しないように思う。『MUSASHI -GUN道-』のように、…

裏表のない人間――『スミレ17歳』

永吉たけるの『スミレ17歳』というマンガを読んだ。このマンガは、いわゆる「中の人」という観念について、いろいろなことを考えさせられる。 人形のスミレとそれを操るオヤジとの関係は、文楽のことをすぐさま連想させる。文楽では、周知の通り、人形をメイ…

生の意味づけとしての無――『DEATH NOTE』の最終巻について

『DEATH NOTE』の最終巻(12巻)を読んだ。本編のストーリーとは直接関係なく、読んでいて少し気になったところがあった。それは、最後のほうで、少し唐突に出てくる死後についての話、つまり、人間は、死後、天国にも地獄にも行かず、ただそこには無だけが…

関係性という観点から見たツンデレ

「萌え属性」とか「萌え要素」という言葉があるが、僕は、このような部分的な要素を、あるキャラクターの構成要素として考えるのではなく、他のキャラクター(あるいは、受け手)との関係性において位置づけるべきではないか、と思っている。主観と対象とい…

この世の彼方としてのエルドラド

ヴェルナー・ヘルツォークの1982年の映画『フィツカラルド』を見た。この映画は、同じヘルツォークの作品である『アギーレ』と同様、エルドラドを描いた作品だと言える。 エルドラドは、理想郷とか黄金郷と訳されるが、そこで問題となっているのは、ある種の…

『機動戦士ガンダム』第1話

『機動戦士ガンダム』の第1話を見返してみた。やはり、『ガンダム』は、何度見ても味わい深い作品だと思う。 『ガンダム』のリアルさということがよく語られるが、今回、第1話目を見返してみて、そうしたリアルさというものは、登場人物の心理描写によって生…

実験アニメとしての『財前』

アニメ『内閣権力犯罪強制取締官 財前丈太郎』は、『MUSASHI -GUN道-』と共に、ネットで、クオリティの低いアニメとして、笑いの種になっている。しかし、現在、クオリティの低いアニメが無数にある中で、この二つの作品が殊更に語られるのには、それなりの…

アナクロアニメ『ラブゲッCHU』

『ラブゲッCHU〜ミラクル声優白書〜』の最近の展開には、僕の予想しないところがあった。それは、あまりにも、恋愛に重点が置かれているところである(ひとりのアニメーターの男性を巡って、二人の声優の女の子が争い合っている)。しかし、よくよく思い直し…