『時をかける少女』のタイムリープについて

 タイムリープ。過去に戻ってやり直すということ。これは、作品の中で明確に描かれているように、非常に深刻な結果をもたらす行為である。われわれは、多かれ少なかれ、自分の力を超えた何か、運命の力とでも言うべきものを想定することによって、そうした深刻な事態を避けていると言える。「あれは避けることのできない不幸な出来事だった」と思うことによって、物事を深刻に考えることを避けることができるわけである。


 タイムリープという観点から、今日のわれわれが置かれている状況というものを考えると、われわれは、「過去には戻れない」ということの重圧に押しつぶされているように思う。「やり直しがきかない」ということが決定的であり、その重圧によって、逆に、何かを選択することを極度に恐れるようになっていると言える。


 作品を見て、「最近の若者はいくらでもやり直しがきくというリセット感覚を持っていて……云々」というようなことを言う人がどこかから出てきそうだが、むしろ、若者は、逆の感覚を強く持っているように思われる。つまり、時間は有限であり、チャンスは一回しかない。もし失敗すれば、それで人生は終わりである、というような感覚である。


 『時をかける少女』は、過去についてのアニメというよりも、未来についてのアニメという気がした。もちろん、過去と未来とは連動しているだろうが、未来という視点をここまで明確に描いた作品を最近見たことはなかった。われわれの生は有限であり、過去は変えられない。こうした不自由な条件に多少の変更を加えることができるとすれば、それは、未来というファクターを入れることによってではないだろうか? 未来といっても、それは、「過去は変えられないが、未来にはまだまだ可能性が残っている」というような慰めの言葉のことを指しているのではなく、個人の生を越えた未来、個人の枠組を超えた時間としての未来のことである。


 しかし、単に、100年後、200年後のことを考えることが重要だとは思えない。かけがえのない個人の経験(記憶)と個人の枠組を越えたものとの繋がりを考えていくことが必要なように思われる。