ひきこもりからオタクへ――『N・H・Kにようこそ!』が問題提起していること

 アニメ『N・H・Kにようこそ!』を見ていて思ったことがある。それは、主人公の佐藤達広はオタクではない、ということである。この点は、一見するとどうでもいいことのように思われるかも知れないが、おそらく、本編の内容と密接に関わっていることだろう。というのも、隣室の山崎が明確にオタクとして描かれていて、その間に、いくばくかの距離があるように思われるからである。


 僕は、原作の小説は読んでいるが、マンガのほうは読んでいないので、この先アニメがどういった展開を見せるのか分からないが、オタクとの距離というところは重要な焦点になるように思われる。斎藤環が確かそんなことを言っていたが、オタクになることは、ひきこもりの状態を打開するひとつの道であることは間違いないだろう。オタクは非社交的な人間だと一般的には思われているが、僕はそんなことはないと思う。同じ趣味の人間とならオタクは十分すぎるほどに社交的になれるだろうし、何ぶん、オタクはエネルギッシュである。そうしたエネルギーを欠いている(ように見える)点で、『NHK』の佐藤は、オタクになることができない人間ではないか、と思ったのである。


 『NHK』の佐藤は、家にひきこもっていないで、ぶらぶらと外に出ている点で、真性のひきこもりだとは言えないだろう。しかし、ひきこもり気味だとは言えるし、そうした傾向性はやはり問題だと言えるだろう。


 僕は、『NHK』の小説は、ベタなストーリーのレベルでだけでなく、メタなレベルを含みこんで読むことによって生きてくる小説だと思っている。それは、作者が実際にひきこもりだったということだけでなく、おそらく、ひきこもり気味の人が夢想する物語がそこに書かれているという点でメタなわけである。ひきこもり気味の人にとって、また、それ以外の多くの人にとってもそうだと思うが、まさに「私の世界」とでも呼べるものの外の世界といかに関係を結ぶのか、ということが決定的な課題になっているように思える。オタクというのは、確かに、そうした通路のひとつにはなるだろう。しかし、誰もがオタクになれるわけではない、という問題もそこにはあるように思える。こうした点については、今後の『NHK』に注目しながら考えてみたい。