『あらいぐまラスカル』と人間の生活

 『あらいぐまラスカル』を全話見終わった。この作品は、世界名作劇場の中でも、かなり異色の作品ではないかと思った。


 『ラスカル』を特徴づけるものは、そのリアリズムにある。『ラスカル』のエピソードは、もちろん物語化されているが、しかし、そのベースにあるのは、日々の生活である。加えて、画期的であると思われるのは、ラスカルが、ほとんど擬人化されることなく、単なる動物として登場しているところである。


 現在、『ぽかぽか森のラスカル』という作品が放送されているようだが、あんなふうに、二本足で立って、他の動物と言葉を交わす、そうした動物ものがアニメーションの世界においては主流であるように思う。『ホワッツマイケル』や『平成イヌ物語バウ』といった作品に出てくる動物たちは、僕の記憶が確かならば、言葉を話すことはなかったと思うが、しかし、その仕草や表情はほとんど人間のものだろう。さらに、『山ねずみロッキーチャック』、『ドン・チャック物語』、『メイプルタウン物語』といった作品においては、動物たちがひとつの共同体を形成していて、そこで描かれていることは、動物の出来事というよりも、人間についての出来事だと言える。


 『ラスカル』においては、動物と人間の境界線を明確にしていて、ラスカルを人間的に描くことをギリギリのところで拒絶しているところがある。例えば、その最終回において、主人公のスターリングがラスカルを森に放す有名なシーンがあるが、そこで、ラスカルの目が涙で潤んでいるように見える描写がある。しかし、この描写は曖昧な描写である。というのは、その夜は満月であり、水面に月の光が反射していて、その水面の光がラスカルの目に反射していると考えることもできるからである。このギリギリの一線で立ち止まっているところに、僕は、『ラスカル』という作品の本質があるように思う。


 つまるところ、『あらいぐまラスカル』という作品において、その中心にいるのはラスカルではない。ラスカルは、物語の本質にはほとんど関わってこない。しかしながら、ラスカルがそこにいることで、物語にひとつのテンポが生まれるのである。物語は、ラスカルを森の中で見つけることから始まり、ラスカルを森に放すところで終わる。スターリングは、その間に、いろいろな経験をするが、この作品で描きたいことは、まさに、そうした日々の生活に他ならない。この作品のテーマとは、人間の生活であり、人間の生活が生み出す喜びと悲しみである。ラスカルは、そうした人間たちの傍らにいる存在であり、言ってみれば、人間の生活を映し出す鏡のような存在になっているのである。


 これほどまでに、人間の生活が描かれたアニメは珍しいことだろう。はっきり言って、この作品は極めて地味であるが、それが退屈にならないのは、ひとえに、ラスカルの存在のおかげである。他の世界名作劇場の作品について、詳しい内容は忘れてしまったが、世界名作劇場の魅力とは、ドラマチックな展開よりも、日常生活の小さなエピソードの描写のうちに見出されたように思う。そこにあるのは、生活の再発見であり、こうしたものを抜かしたドラマは、それこそ、あまりにも定型的で、非常につまらないものになってしまうだろう。


 今度、10年ぶりくらいに、世界名作劇場の新作が放送されるようだが、正直言って、あまり期待することはできない。世界名作劇場の、とりわけ70年代の作品は、その時代にしか作れない作品であり、その雰囲気を再現することは不可能であるだろう。現代には現代に相応しい物語の形式というものがあると思うのだが、そうした新しい物語形式の出現を今後に期待したいものである。