2008-03-01から1ヶ月間の記事一覧

志賀直哉『城の崎にて』――動物にとっての生と死、意識と行為との間のギャップ

われわれ生きている者たちにとっては、死とは余計なものなのだろうか? われわれ生きている者たちは、死とどのような関わりを持つのだろうか? 生きている者は必ず死ぬ。これは事実であるだろう。しかしながら、これは、あまりにも明白な事実なので、それを…

『孤独のグルメ』と現代人の生活(その10)――他者のモノローグ、近代人は二度死ぬ

『孤独のグルメ』について書くのは今回で最後にしたい。そこで、今回は、今まで提出した観点をまとめてみることにしたい。 まず最初に提出したのは、モノローグという観点である。ここでのモノローグは、ダイアローグの不在と言い換えることができるだろう。…

『孤独のグルメ』と現代人の生活(その9)――目を持つ群衆、量の問題を提起する群衆

群衆の持っている器官とは、端的に言って、目であるだろう。もちろん、群衆は聞いたりもするし、喋ったりもするだろう。ひとつのところに集まって交通を妨害することもありうるだろうし、映画のワンシーンによく見られるように、人と人とを離れ離れにさせた…

『孤独のグルメ』と現代人の生活(その8)――群衆の欲望から距離を取るということ、特殊と一般の狭間

井之頭五郎は都市の風景の中に溶け込む。都市においては、五郎が物語の中心人物ではない。五郎は、多くの登場人物(群衆)の中のひとりにすぎない。多くの登場人物の中のひとりであること。このことが孤独を養うのである。 都市の風景の中に埋没すること。そ…

『孤独のグルメ』と現代人の生活(その7)――これまでの文脈、われわれの欲望を構成する都市の風景

この『孤独のグルメ』論は、『ぼくらの』論を引き継ぐ形で始めたわけだが、そもそもどのような動機から『ぼくらの』という作品を問題にし始め、そこからどのように問題を『孤独のグルメ』へと移行させていったのかということについて、ここで改めて確認して…