2007-10-01から1ヶ月間の記事一覧

『ぼくらの』と倫理的問題(その8)――なぜ自分が生き残らなければならないのか?

モジの物語で描かれている三角関係は、他者との競争的関係(バトルロワイアル状況)を、非常に分かりやすい形で示している。つまり、そこにおいては、自分の死は相手にとっての利益になるのであり、逆に、相手の死は自分にとっての利益となる。しかしながら…

『ぼくらの』と倫理的問題(その7)――他者を傷つけても自分が生き残るべきなのか?

アニメ版のチズとマンガ版のチズとはかなり異なっている。アニメの『ぼくらの』は、マンガの『ぼくらの』に見出されるチズの憎しみを緩和している。もっと言えば、チズの覚悟とでも言うべきものを緩めているのである。 チズには死ぬ覚悟ができている。だから…

『天元突破グレンラガン』から『機動戦士ガンダム00』へ、あるいは、セカイ系を避けるための二つの方法

『天元突破グレンラガン』とは、いったい、どのようなアニメ作品だったと言えるだろうか? 『グレンラガン』には、旧来のアニメ作品の反復という側面がある。もっと限定して言えば、それは、70年代から00年代にかけての(ロボット)アニメの反復である。しか…

『ぼくらの』と倫理的問題(その6)――自らの死をどうしたら受け入れられるのか?

前回も少し問題にしたことであるが、カコの物語には、現代人の孤独な生を見出すことができる。家族や友達がいないわけではないが、いや、むしろ、ちゃんといるからこそ、そこで、一種の疎外感を意識している。そこでの問題とは、簡単に言ってしまえば、いっ…

『ぼくらの』と倫理的問題(その5)――自分の望まない義務を果たさなければならないのか?

ナカマの言う「全員は全体の奉仕者」という言葉の意味とはどのようなものだろうか? ここで提出されている観念は、ダイチの場合とは違って、もっと広い範囲でのグループ、自分が見知っている範囲以上のグループが問題になっている。言ってみれば、そこで問題…

『ぼくらの』と倫理的問題(その4)――家族を守るために死ぬことができるのか?

闘いに負ければこの世界は滅びるが、闘いに勝っても自分の命はなくなる。このような状況において、それでも、なおかつ、闘いに勝つことに意義を見出すことができるとすれば、それは、自分の死後に生き残る人たちのために闘う、ということである。これは、ま…