2009-05-01から1ヶ月間の記事一覧

『グイン・サーガ』の思い出

栗本薫が亡くなったということに僕も少なからぬ衝撃を受けたが、しかし、僕が『グイン・サーガ』を読んでいたのは随分昔のことなので、そういう点で言えば、受けた衝撃は小さいものだと言える。何というか、『グイン・サーガ』を夢中になって読んでいた昔の…

『宇宙をかける少女』は個人的には気に入っているんだけれども

かなり溜まっていた『宇宙をかける少女』を何話か消化。 この作品、ネットでちょっと調べてみたけど、基本的に評判の悪い作品なんだろうか。 別にアニメーションとしてのクオリティが高いとは僕もまったく思っていないのだが、個人的にはこの作品はちょっと…

神山健治とネットワークの思想

神山健治関連のアニメをまだいくつか見ているのだが、神山は、ネットワークというものを描き出そうとしているアニメ作家ではないかという気がする。『攻殻SAC』で描かれるような情報ネットワーク(サイバースペース)だけが問題なのではない。ネットワークと…

言葉のない世界が生み出す言葉――ゲーム『ゆめにっき』について

知っている人は知っているだろうが、『ゆめにっき』というフリーゲームがあって、遅ればせながら僕も去年ぐらいにはまって、この作品についていろいろと考えたりしたのだが、そのときはこの作品について何か書いたりはしなかった。それが昨日ふと、この作品…

『涼宮ハルヒの憂鬱』を改めて見て思ったこと

噂の「笹の葉ラプソディ」を見た。『ハルヒ』二期の評価についてはもう少し見てから判断を下したいところだが、このエピソードだけを見た感想を言えば、『ハルヒ』はやはり面白いなあ、という極めて素朴なものである。 しかし、アニメの『ハルヒ』の面白さと…

神山健治作品をいくつか

『精霊の守り人』を7話まで見る。ちょっとした必要があって、最近、神山健治関係のアニメをいくつか見ている。『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』も8話まで見返した。 『守り人』は、ファンタジー作品というところで少し偏見があったので、これまで見るのを…

『みなみけ おかえり』第3話のプリンの話

『みなみけ おかえり』の第7話を見た。マグカップの話が秀逸だと思う。似たような話は第3話にもあったが、今回のマグカップの話もなかなか悪くはない。しかし、第3話のプリンの話は絶妙だったと思う。 マグカップの話よりもプリンの話のほうがいいと思うのは…

日記を始めてみる

長めの記事をそれなりにちゃんと書こうと思って、それでいろいろと考えたり、参考になりそうな本を読んでいると、そのうちに書くのが面倒になって、結局書かなくなるという悪いパターンにまた入りそうなので、今度から「アニメ消化日記」と題して、短めの記…

デジタル技術時代のテレビアニメ――リミテッド・アニメーションの現在

現在の日本を脱工業化社会というふうに言うことはできるだろうが、こうした社会の変化とアニメーションを見ることとの相関関係はどうなっているのか、ということが最近気になっている。 テレビの登場というものが非常に大きいだろうが、テレビでアニメを見る…

『エヴァの喰べ方、味わい方』(その3)

エヴァでは全編にわたり宗教・心理学・生物学・物理学からの用語がちりばめられている。真面目に語句を深読みすればするほど、次々といろいろなメッセージを読みとってしまい、解釈が多様に生まれ、カレードスコープのような謎の深みにハマっていってしまう…

われわれの社会的な関係性はどうなっているのか――『コードギアス』についてのちょっとしたメモ(その2)

最近考えていることや興味のあることを、取りとめもなく、だらだらと書いてみたい。 先日『コードギアス』についてちょっと書いたわけだが、なぜ再び『ギアス』に興味を持ち始めたかというと、最近またしても、人間と人間との関係性について考えているからで…

新しい価値基準を創出するために――『コードギアス』についてのちょっとしたメモ

『コードギアス』には、現代の日本社会(あるいは日本人)に対するちょっとした批判のようなものが見出せる。それは、言うなれば、政治に対する無関心さへの批判のようなものである。ブリタニア帝国によって占領され、「エリア11」と呼ばれる日本の姿という…

『エヴァの喰べ方、味わい方』(その2)

主人公のシンジは人とのつきあいが苦手で、生の存在不安に揺れ続け「僕って何なのだろう?」と自問を繰り返していく。彼らの心の世界は「自己」「自我」が直接身体的にかかわる身近な関係だけに囲い込まれていて、まるで社会や国家、あるいは政治といった観…

『交響詩篇エウレカセブン』の劇場版を見てきたけれども

それでエントリーをひとつ書いてみようと思っていたのだけれども、どうもあまり気持ちが乗らないというか、『エウレカ』を評価するにしても叩くにしても、どちらにしても、大した実りがないというか、何となくどうでもいい気分になってしまっているところが…