『エヴァの喰べ方、味わい方』(その3)

 エヴァでは全編にわたり宗教・心理学・生物学・物理学からの用語がちりばめられている。真面目に語句を深読みすればするほど、次々といろいろなメッセージを読みとってしまい、解釈が多様に生まれ、カレードスコープのような謎の深みにハマっていってしまう。
(中略)
 なかでも物語の背後に死海文書があるにちがいないとうかがわせるシーンは謎に包まれている。特務機関ネルフの隠された上部組織であるゼーレは死海文書に従ってエヴァを造り、使徒との闘いを進めているらしい。
(有栖脱兎「エヴァ・カルチャーは「終わりの始まり」ではなく「終わりの終わり」である」、30頁)

 しかしながら、謎を解明したくなる欲望というものを問題にすべきだろう。謎があれば誰でもそれを解き明かしたくなるわけではなく、そもそも何かが謎として立ち上がるための条件というものが問題にされなければならない。
 『エヴァ』は、その作品世界を越えて、現実世界を解読するためのテキスト、少なくとも、現実世界を読み解くための重要な副読本になっていたところがある。死海文書は、単に『エヴァ』という作品の謎を解き明かすための重要なテキストであるに留まらず、この現実世界の謎そのものが書かれた神秘的なテキストとして位置づけられたのである。
 それゆえに、『エヴァ』に見出される重要な言説とは、宗教的な言説である。宗教的な言説は、言うなれば、われわれの社会的な出来事を越えたもっと大きな世界的な出来事、世界の終わりなどということが問題になりうるような、そうした大きな出来事が語られうる領域だった。こうした点で、『エヴァ』は、オウム真理教のハルマゲドン言説などと同時代的な共鳴関係にあったと言える。
 『エヴァンゲリオン』という作品のうちに謎があるわけではなく、『エヴァ』という作品が謎を作り上げたのだ。『エヴァ』という作品が世界の謎にひとつの形を与えたのである。そうした点で、『エヴァ』という作品は、まさに通路になっている。『エヴァ』を見ている個々人の悩み(実存)とこの世界の行く末を左右するような大きな謎とを『エヴァ』が結びつけたのである。
 こうした点で、『エヴァ』という作品に見出すことができるのは統合の機能である。「サンプリング、カットアップ、リミックス」という手法が『エヴァ』に見出されるだけではなく、断片化されたものが『エヴァ』という作品の中で再統合されたのである。
 『エヴァ』という作品の内部に統合された断片は、ひとつの符牒となる。単なるオタク的な衒学趣味に陥ることなく、そうした符牒は、世界の全体像を暗示する断片として、つまり、謎を提示する断片として機能することになる。
 オウムにもそうしたところがあったが、科学と宗教という、一見すると相反する領野が『エヴァ』においては統合されている。科学的な探究の果てに宗教的な問題が見出され、宗教的な問題を解明する手段として科学が用いられる。
 このような領域横断性は全体性への志向とほとんど同義であり、まさに、そんなふうに全体というものが一挙に認識できないからこそ、空白の部分が謎として浮かび上がってくるのである。謎を解明したいという欲望は、まさしく、全体性へと到達したいという欲望であるだろう。