『交響詩篇エウレカセブン』の劇場版を見てきたけれども

 それでエントリーをひとつ書いてみようと思っていたのだけれども、どうもあまり気持ちが乗らないというか、『エウレカ』を評価するにしても叩くにしても、どちらにしても、大した実りがないというか、何となくどうでもいい気分になってしまっているところがある。


 一番の原因というのは、この『エウレカ』という作品が、完全に閉じてしまった作品、どこにも開かれていかない作品になってしまっている、というところにある。作品のメッセージ的にはどこかに大きく開いている感じなのだが、ひとつのアニメ作品として見たときに、80年代からゼロ年代にかけての様々なアニメ作品の系譜の中にこの作品を位置づけたときに、これまでのアニメ文脈をこの作品がほとんど回収しているとしても、それが集大成にすらなっていないというか、ただ単に目配せをしているだけであって、これまでのアニメ文脈を大きくずらそうとか、新しい段階に発展させようとか、そういうような開かれた展開というものがまったく見出せなかったという点で、この作品について何か語ろうとする気力が大きく殺がれてしまったのである。


 はっきり言って、『エウレカセブン』に見出される様々な謎などというものはどうでもよくて、そんなものについてあれこれと考えたりするのが非常にバカバカしく思えてくるのであって、そんなことに時間を使うくらいなら、『けいおん!』をまったりと見ているほうが数倍もいいだろう、と思えてしまうのである。


 僕は、『とらドラ!』や『けいおん!』は開かれているアニメ作品だと思っている。つまり、これらの作品には非常に多くの可能性が潜在しているのであって、『とらドラ』や『けいおん』の後に出てくる作品にかなりの期待を持つことができるのに対して、『エウレカ』の後には何も続かないのではないか、と思ってしまうのである。『エウレカ』の後には、もしかしたら、『ザムド』が続いているのかも知れないが、しかし、同じ制作会社の中で閉じていても仕方がないだろう(『ザムド』はまだ最初の数話しか見ていないので、もう少し注視してみたいと思っているが)。


 僕は最近よく思うのだが、この世の中において、アニメなどというものは、ほんの小さな部分、ほんの小さな領域を扱っているのにすぎないのであって、そうしたことを『エウレカ』を作っている人たちはそれなりに分かっているのだろうが、しかし、その分かり方が中途半端というか、それでもなおかつアニメというものが世界のシステムの中の一部に組み込まれているという、その現実を軽視しているように思えるのである。


 僕は『崖の上のポニョ』はなかなか良い作品だと思っているのだが、それは、宮崎駿が5歳の子供にアニメを見せたいという、そういう情熱が作品から強く感じられるからである。おそらく、宮崎駿なんかは、現在の世の中のあり方にも、アニメーションそのものにも、絶望しているんじゃないかと思われるのだが、そんなふうに絶望していながらも、5歳の子供にアプローチしたいという欲望を持ち、その手段としてアニメーションを用いようとしているという、そのような一抹の期待感が5歳の子供だけではなく、僕のような30を過ぎてもアニメを見ているような人間の心を動かすことになっているのではないかと思うのである。


 それでは、『エウレカ』はいったい誰にアニメを見せたいと思っているのかというところがよく分からないというか、まあ、いろいろと大人の事情があるのだろうけど、そういうところを大幅に差し引いたとしても、例えば、10代くらいの人がこの作品を見て、これから大人になって人生を歩んでいくときにこの『エウレカ』という作品が何らかの形で心の支えになるかと言えば、まったくそんなことはないように思えるのである。「心の支え」という表現が大げさであるのなら、ある日ふと思い出す作品というのでもいいのだが、僕は、『ポニョ』という作品は、ある日ふと思い出す作品になりうると思うが、『エウレカ』はそういう形では記憶に残らないのではないかと思う。


 ある日ふと思い出して、もう一度見返したときに、新しい観点から眺めることができる作品。そうした意味で、『ポニョ』は、現在5歳である子供たちに向けられた作品というだけでなく、その子供たちが成長してふと思い出したときに見返すことができるような作品にもなっていると思うのである。


 こういう作品が、アニメの小ささと大きさ、アニメの限界と可能性とを共に保持している作品だと言えそうなのだが、当然のことながら、こういうアニメ作品は非常に少ない。別に『エウレカ』にそこまで要求しようとは思わないが、『エウレカ』のテーマ的なところなりメッセージ的なところなりが、そのようなことを扱っているだけに(子供から大人へという成長の問題なり未来の希望なり)、アニメを誰かに見せるというその部分のところが非常に弱いように思えるのである。


 とこんなふうに、結局はひとつエントリーを書いてしまったわけだが、『エウレカ』はいまひとつだったけど、今度公開される『ヱヴァンゲリヲン』の「破」には大いに期待したい、などというふうに結論的に書いてみたくなってしまうところが、僕自身、何となく面白くないなあと思ってしまうところである。