『グイン・サーガ』の思い出

 栗本薫が亡くなったということに僕も少なからぬ衝撃を受けたが、しかし、僕が『グイン・サーガ』を読んでいたのは随分昔のことなので、そういう点で言えば、受けた衝撃は小さいものだと言える。何というか、『グイン・サーガ』を夢中になって読んでいた昔の僕にそのことを言ったら非常に残念がるだろうなあ、というぐらいの距離がある感じである。
 僕が『グイン・サーガ』を夢中になって読んでいたのは確か中学生の頃だったと思うが、そのときは、「世の中にこんなに面白い小説があったのか」と思うほど夢中になって、当時出ていた巻は全部読んでしまったが、しかし、その後、『グイン』を読むことはもうなかった。
 『グイン』に対する関心がなくなったというわけではないのだが、それ以後の巻が出ても、これまで読んできた流れが一度大きく切断されてしまったので(物語の展開もはっきり覚えていないところがいくつかあるという状態になってしまったので)、新しい巻に手を出すのをためらったところがあったわけだ。
 こういう点では、僕は、栗本薫の良い読者ではなかったと言えるし、『グイン』が未完に終わったことに対しても、残念だとか完結しほしかったとか、そういう気持ちは特にない。むしろ、「やっぱり未完に終わってしまったか」という思いのほうが強いと言える。
 僕が『グイン』を読んだのは確か36巻くらいまでだったと思うが、それ以後、『グイン』の物語がどうなったのかはやはり気になり、友達で現在まで読みつづけている人がいるので、その友達から大まかなあらすじをたまに聞いていたりはしていた。あらすじだけではなく、栗本薫の健康状態とか刊行スピードとか、そういう話も聞いていたので、「この先どうなるのかなあ」と思っていたら、こういう結果になったわけで、いずれはこういう時が来るとしても、「やっぱりちょっと早すぎるよなあ」という思いはある。
 今ネットで『グイン』の表紙の画像を見てみたのだが、表紙を見ていると昔の興奮が少し蘇ってくる。『グイン』のイラストを担当したのは全部で四人であるようだが、僕が見知っているのは最初の加藤直之と次の天野喜孝で、特に僕が『グイン』を読み始めようと思ったのは加藤直之の絵に惹かれたというところがある。単純に、「この豹頭の男は何だ?」と思って手に取ったところもあるのだが、イラストに惹かれたというところは大きかった。天野喜孝の絵は嫌いではないが、当時は『ファイナル・ファンタジー』のイメージが大きくて、『グイン』の世界に『FF』のイメージが入り込んできたようなところがあった。感覚的なところで言うと、加藤の絵のほうが重く、天野のほうが軽い感じがして、僕の中で『グイン』というのは重く暗い作品であって、そういう雰囲気というところでも、加藤の絵のほうが好きだった。
 物語に関して言えば、僕は、最初のファンタジーの話よりも、6巻くらいからの戦記ものというか国盗り物語というか、ああいう物語の展開にかなり惹きつけられた。『三国志』が好きだったから、というところも大きいかも知れない。しかし、最初の5巻くらいまでに旅してきた仲間たちがそれぞれの陣営に分かれて闘い合うみたいなところで、一気に世界がぱっと広がったところがあって、そこがかなり良かった。キャラに関して言うと、一番好きだったのはイシュトヴァーンかな。アルド・ナリスも良かったけど。
 こんなふうにいろいろ思い出してくるとまた読み返したくなってくるが、しかし、100巻以上もあると思うと、なかなか手を出しにくいというか、もうそれだけで敷居が高くなっているという気がする。なぜ物語をこんなにも長くしなければならないのかというところは、ちょとした疑問というか、いろいろな問題をはらんでいるところだと思うが、まあ、何にせよ、中学生くらいのときに『グイン』を読んだ興奮というものは、もう二度と得られないような種類のものだと思う。
 たぶんかなり美化されていると思うので、読み返してみたら幻滅しそうな気がするが、もう一度手を出してみたい作品であるのは間違いない。しかし、何かきっかけがない限り、難しいだろうなあ。