『時をかける少女』を見て――第一印象

 いまネットで話題の劇場アニメ『時をかける少女』を見た。この作品の詳しい分析や解釈については、明日以降、行ないたいと思っているので、今日のところは、映画を見た第一印象を述べてみたい。


 まず、この作品の素晴らしかったところは、人物が非常にリアルに描かれていたところである。人物のリアルさとは、その人物がまさに生きているということ、生活しているということ、ある特定の場所と時間の中で日常生活を送っているということから生じてくるものである。例えば、主人公の紺野真琴のボールの投げ方に、僕は驚かされた。それは、簡単に言って、美しくはない投球ホームなわけだが、そんなふうにボールを投げる彼女の姿に、彼女の人生が垣間見られるわけである。


 同様のことは、真琴の家族やクラスメイトの描写についても言える。家族の出てくるシーンは、本当に数えるほどしかないのだが、その数少ないシーンの中で、それぞれの家族がどういった人であって、家族間の関係はどういったものであるのか、普段の生活がどのようなものであるのか、といったことがはっきりと分かるのである。


 ある作品の作品世界は、そのメインストーリーの部分からだけでなく、それ以上に、サイドストーリーの部分、遊びで作られた部分によって形成されていると言えるだろう。その点で、この作品は、遊びの部分が非常に豊かな作品だと言える。そうした遊びの部分が入口になって、見ている人は、メインのストーリーに深く入りこむことになるのではないか、と思う。


 いずれにせよ、この作品は、非常に現代的な作品だと思った。それは、ただ単に、現代を舞台にしているというだけでなく、現代的な問題、われわれが普段悩んでいることの根底にあるものを扱っているということである。この点について、明日以降、詳しく問題にしてみたいと思う。