2009-01-01から1年間の記事一覧

神山健治作品をいくつか

『精霊の守り人』を7話まで見る。ちょっとした必要があって、最近、神山健治関係のアニメをいくつか見ている。『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』も8話まで見返した。 『守り人』は、ファンタジー作品というところで少し偏見があったので、これまで見るのを…

『みなみけ おかえり』第3話のプリンの話

『みなみけ おかえり』の第7話を見た。マグカップの話が秀逸だと思う。似たような話は第3話にもあったが、今回のマグカップの話もなかなか悪くはない。しかし、第3話のプリンの話は絶妙だったと思う。 マグカップの話よりもプリンの話のほうがいいと思うのは…

日記を始めてみる

長めの記事をそれなりにちゃんと書こうと思って、それでいろいろと考えたり、参考になりそうな本を読んでいると、そのうちに書くのが面倒になって、結局書かなくなるという悪いパターンにまた入りそうなので、今度から「アニメ消化日記」と題して、短めの記…

デジタル技術時代のテレビアニメ――リミテッド・アニメーションの現在

現在の日本を脱工業化社会というふうに言うことはできるだろうが、こうした社会の変化とアニメーションを見ることとの相関関係はどうなっているのか、ということが最近気になっている。 テレビの登場というものが非常に大きいだろうが、テレビでアニメを見る…

『エヴァの喰べ方、味わい方』(その3)

エヴァでは全編にわたり宗教・心理学・生物学・物理学からの用語がちりばめられている。真面目に語句を深読みすればするほど、次々といろいろなメッセージを読みとってしまい、解釈が多様に生まれ、カレードスコープのような謎の深みにハマっていってしまう…

われわれの社会的な関係性はどうなっているのか――『コードギアス』についてのちょっとしたメモ(その2)

最近考えていることや興味のあることを、取りとめもなく、だらだらと書いてみたい。 先日『コードギアス』についてちょっと書いたわけだが、なぜ再び『ギアス』に興味を持ち始めたかというと、最近またしても、人間と人間との関係性について考えているからで…

新しい価値基準を創出するために――『コードギアス』についてのちょっとしたメモ

『コードギアス』には、現代の日本社会(あるいは日本人)に対するちょっとした批判のようなものが見出せる。それは、言うなれば、政治に対する無関心さへの批判のようなものである。ブリタニア帝国によって占領され、「エリア11」と呼ばれる日本の姿という…

『エヴァの喰べ方、味わい方』(その2)

主人公のシンジは人とのつきあいが苦手で、生の存在不安に揺れ続け「僕って何なのだろう?」と自問を繰り返していく。彼らの心の世界は「自己」「自我」が直接身体的にかかわる身近な関係だけに囲い込まれていて、まるで社会や国家、あるいは政治といった観…

『交響詩篇エウレカセブン』の劇場版を見てきたけれども

それでエントリーをひとつ書いてみようと思っていたのだけれども、どうもあまり気持ちが乗らないというか、『エウレカ』を評価するにしても叩くにしても、どちらにしても、大した実りがないというか、何となくどうでもいい気分になってしまっているところが…

アニメ『戦国BASARA』についてのメモ

『戦国BASARA』の見所とは、超人的な能力を持つ武将たちが、果たしてどんなふうにその力を発揮するか、それをどんなふうに演出しているか、そうしたところにあるだろう。 『戦国BASARA』においては、このアニメ作品の原作がゲームであるということを考慮に入…

『エヴァの喰べ方、味わい方』(その1)

エヴァはTV放送が開始された時点で、すでに制作の遅れは危機的な状況を呈していた。(中略)したがって、問題の最終二話は、単純に監督の強い自己表現だけでは説明できない、外在的な条件も大きかったと見るべきであろう。 (いがらしもも「庵野の開かれた態…

『けいおん!』と現在時の肯定――京都アニメーションにとってのチョココロネ

毎度のことだが、新作アニメの消化がスムーズに進まない。前クールのアニメもまだかなり残っている。 そんな中でも、話題の『けいおん!』は見ているのだが、すでにネット上でかなりの人がこの作品について語っているので、別に今この作品をあえて問題にしな…

『涼宮ハルヒちゃんの憂鬱』と『にょろ〜ん☆ちゅるやさん』についてのメモ

『涼宮ハルヒちゃんの憂鬱』と『にょろ〜ん☆ちゅるやさん』という二つのアニメ作品を問題にするにあたっては、まず、これらの作品がYouTubeという動画投稿サイトで発表されているという、その物理的な条件について考える必要がある。 劇場アニメ、テレビアニ…

個人的にその微妙さを推したい2008年のテレビアニメ・ベスト10

『このアニメがすごい!2009』のランキング(今日もやられやく) http://yunakiti.blog79.fc2.com/blog-entry-2689.html マクロス ギアス 墓場 とらドラ 00 夏目 かんなぎ tt ポニョ 絶望 このランキングに取りたてて異論を出したいというのではないけれど…

今後は極力どうでもいい記事を書いていきたい

いつもこのブログには長めの記事を書いているのであるが、長い記事ばっかり書いていると疲れてきて、更新するのが面倒になってくるので、今後は短めの記事を中心に、極力どうでもいい話題を適当に書いていきたいと思っている。 別にブログに文章を書かなけれ…

『ルパン三世』はどう変わるのか――『ルパン三世VS名探偵コナン』を見て

先日放送されたスペシャル番組、『ルパン三世VS名探偵コナン』をやっと見たので、思うところを書いておきたい。 毎年放送されている、いわゆる「ルパン・スペシャル」について、僕は、基本的に、冷ややかな目で見ていた。見るときもあり見ないときもあるとい…

喪失感と諦念――アニメ『WHITE ALBUM』に見出される時代認識

『WHITE ALBUM』のアニメを最後まで見たので、またちょっと感想を書いておきたい。 この作品を見ていて個人的に気になったのは、昭和と平成という時代の違いがどこにあるのかとか、80年代はどういう時代だったのかとか、そのようなことである。このアニメが…

神なき時代の正義と悪――『機動戦士ガンダム00』の物語に関して

大した感慨もなく最終回を見ていたのだが、アニメ『機動戦士ガンダム00』について、これまで考えてきたことをざっと書いておきたい。 まず、この作品のアクチュアリティ(現代性)という点について。この作品は、「ガンダム」という古い物語をいかにして現代…

ローカルな街で現実と闘うということ――アニメ『天体戦士サンレッド』について

アニメ『天体戦士サンレッド』を最後まで見た。この作品の舞台である武蔵溝ノ口には何度も足を運んだことがあったので、非常にリアルに描かれる駅前の風景などを見ているだけでも楽しめるところがあった(もちろんギャグも面白かったが)。 この作品を見てい…

アニメ『とらドラ!』における家族の問題――『CLANNAD』とも比較して

アニメの『とらドラ!』の最終回を見た。今クールは、『CLANNAD AFTER STORY』という、『とらドラ!』とテーマ設定のところでいろいろと重なる作品があったので、『とらドラ!』を見ているときでも、『CLANNAD』とどう違うのかといったことをいろいろと考え…

コミュニケーションの再構築のために――アニメ『夏目友人帳』について

現在『夏目友人帳』のアニメの第二シリーズが放送されているが、僕はまだ、第一シリーズのほうをちゃんと最後まで見ていなかったので、ひとまず、第一シリーズのほうを最後まで見てみた。第二シリーズを見る前に、この作品を見た感想をちょっと書いてみたい。…

アニメ『キャシャーン Sins』の現代性――『スカイ・クロラ』とも絡めて

アニメ『キャシャーン Sins』を最後まで見たので、感想を書いてみたい。 アニメのリメイク作品というものは無数にあるが、それらは概ね、失敗する傾向にあるように思う(もちろん、いくつかの例外はあるが)。というのは、そうしたリメイク作品の多くは、ア…

家族の問題をどう理解すればいいか――TV版『CLANNAD』と劇場版『CLANNAD』とを比べてみて

アニメの『CLANNAD』があまりにも良かったので、今度、原作のゲームにも手を出してみようと思っているのだが、その前に、出崎統が監督を務めた劇場版の『CLANNAD』を見てみた。京都アニメーションのTV版と比べてみると、とても同じ原作のゲームから作られた…

2009年冬アニメ雑感

もうすでに、いくつかの作品が最終回を迎えているわけだが、自分が見ている範囲で、最近のアニメについて、感想を少し書いてみたい。 まず、ネットでやや否定的な意見が出てきている『CLANNAD AFTER STORY』であるが、僕は、単純に、これは非常に素晴らしい…

アニメ『鉄のラインバレル』は今日のリアリティにどのように立ち向かったのか?

新作アニメ『鉄のラインバレル』の第1話を見て思ったこと http://d.hatena.ne.jp/ashizu/20081010#1223611140 アニメ『鉄のラインバレル』が放送され始めた当初、いろいろな期待を込めて、上記のような記事を書いたわけだが(この記事ではコミュニケーション…

サブカルチャーと政治的なもの(その1)――すでに常に部分的なものであるというアイロニー

今、大塚英志の『サブカルチャー文学論』を読んでいるのだが、江藤淳のサブカルチャー観を問題にする次のような記述に、僕はかなりガツンとやられた。 ところで江藤がここで「サブカルチュア」をいわゆるアニメやコミックといった具体的な領域を指して言うの…

来るべきアニメ批評について――津堅信之さんの記事を読んで

アニメージュ オリジナル(津堅信之のアニメーション研究資料図書室) http://d.hatena.ne.jp/tsugata/20081113/1226578800 今更であるが、こちらの記事を取り上げて、ここで語られていることについて少しばかり問題にしてみたい。 昨年は、アニメ批評のこと…

貧しい日本文化の表現としてのアニメーション

現在、日本のみならず、全世界が経済危機という名の荒波に飲み込まれているわけだが、そんな時代状況だと、今後日本はいったいどんな国になっていくのだろう、というような日本の行く末のことを考えないではいられない。しかしながら、このような懸念を、僕…

暴力とコミュニケーション(その3)――秋葉原無差別殺傷事件と加藤智大について

これまで、二回、このブログで、「暴力とコミュニケーション」という題で記事を書いてきたが、このようなテーマ設定を提示したのは、2008年6月8日に起きた秋葉原無差別殺傷事件にショックを受けたからである。 当時は、いろいろな理由から、この事件を真正面…