80年代アニメの土壌



 大状況と小状況との関わり、大状況の物語が空疎化し、それを補填するような形で小状況の物語が拡大していること。こうした物語の状況を、前回までは、様々なアニメ作品を通して見てきたわけだが、今回からは、同様の状況を、少し歴史的な観点から眺めてみることにしたい。つまり、80年代のアニメとそれ以降のアニメ(現在のアニメ)との差異という観点である。


 アニメ作品を年代ごとに区切ってカテゴライズすることは、何か意味のある行為なのだろうか? 僕は、最終的にはこうした試みは何の妥当性もないと思っているが、便宜的にそうすることには意味があることだと思っている。多様なアニメ作品にひとつの流れを見出すこと、そのような包括的視点を差し出すことは、それによって多くのものが零れ落ちてしまうというリスクはあるものの、われわれがどこに立っているかという立ち位置をはっきりさせるためには、非常に有効な作業だと思うのである。


 さて、年代ごとにアニメ作品を分けて考えてみると、便宜的に、60年代アニメ、70年代アニメ、80年代アニメ、90年以降のアニメ、というようなカテゴリーを提出することができる。僕の私的なアニメ史は、63年の『鉄腕アトム』から95年(劇場版までを視野に入れれば97年)の『新世紀エヴァンゲリオン』までをひとつのまとまりとして考えているので、90年代のアニメと2000年代のアニメとは『エヴァ』以降のアニメとして、ひとつにまとめられる(その点で、90年代初頭のアニメは、80年代のアニメに分類されるが、もちろんこの点はそれほど明確ではない)。


 いったい、なぜ、63年から始めるのか? 外面的な区分は、『鉄腕アトム』が国産で初めて毎週TVで放送されたアニメだった、というものであるが、こうした表面的な位置づけを越えて、『アトム』がアニメにもたらしたものがある。それは、ある種のジャンクさ、安っぽさである。これは、フル・アニメーションかリミテッド・アニメーションか、という枠組を大きく越え出ている。従来の劇場アニメの観点からすれば、時間もお金もない中で作られた『アトム』は、出来の悪いアニメ以外の何ものでもなかったことだろう。しかし、そのような悪条件が、今までとは別の価値観を作り出すための土壌になったと考えられるのである。「お金も時間もないわけだから、劇場アニメのようなよく動くアニメを作るのは無理な話だ。しかし、それならば、動かないでもなお、効果的な表現がないものだろうか?」。このような問いの地平を切り開いたアニメが『アトム』だったと思われるのである。


 動くことが命であるはずのアニメから動きを極端に減らすという方向に移行していった『アトム』以降のアニメ。そうしたアニメが単なる手抜きの次元に留まらず、新しい表現の開拓に勤しんでいた時期が、まさに、70年代だったと言えるだろう。70年代アニメの始まりを告げる作品としては、例えば『あしたのジョー』を上げることができる。現在までそのような流れはあるが、TVアニメは、当時のマンガの状況と密接な関係を持っている。つまり、そのとき人気のある作品がアニメ化されるわけである。この70年前後の時期は、60年代後半からのスポ根ブームを受けて、スポ根ものの作品が数多く作られた時期である(例えば、68年『巨人の星』、69年『アタックNo.1』、73年『エースをねらえ!』)。


 加えて注目すべきなのが、『あしたのジョー』の監督である出崎統のなした仕事である。彼は『鉄腕アトム』を作っていた虫プロにいたわけだが、彼の作品に見出すことのできる独特の表現は、お金も時間もない中でいかに斬新なことをやるかという、そうした意欲の結晶だと言える。その代表的な表現が「止め絵」であるだろう。重要な場面、決定的な場面で、画面の動きを停止させる。例えば、『エースをねらえ!』のような作品の場合、本来であるなら、テニスというスポーツを扱っているわけだから、動きのある場面が多くなるはずなのだが、この作品では、そうした動きが極端なまで抑えられている。その結果、表現に重みが置かれるのは登場人物たちの心理面であり、そうした心理面を表現するのに止め絵は大きな効果を持っている。なぜなら、決定的な瞬間というのは、その登場人物にとっては、時間が止まったように感じられるわけだからである(大げさな効果音と大胆な彩色とがそれを補填している)。


 こうしたことはまた、富野由悠季についても言えることである。富野もまた虫プロにいたわけだが、彼も、出崎と同じく、非常に独特な表現を確立している(『機動戦士ガンダム』に見出すことのできる奇妙な心理描写を想起されたい)。70年代アニメを告げる作品が『あしたのジョー』であるとするならば、70年代の終わりを告げる作品(70年代アニメを集大成した作品)は『機動戦士ガンダム』だと言えそうである。


 さて、それでは、ここで問題とすべき80年代アニメは、どのようなアニメだったのだろうか? 80年代アニメを特徴づけるものは、まずは、そのジャンルの多様さである。70年代の時点では、アニメは完全に子供のためのものであり、そこではメルクマールになるような作品がいくつもあった。誰もが知っている作品というのが複数あったのである。しかし、80年代以降、ジャンルの細分化が進み、誰もが知っている作品というのが徐々に少なくなっていった(そして、この傾向は、現在に近づくに従って、ますます加速してくる)。今でも、たまに、TVの特番で、懐かしのアニメが放送されるが、そこで紹介されるアニメの大半が70年代のものであることに注目しよう。なぜ、70年代以前の作品がよく紹介されて、80年代以後の作品があまり紹介されないかと言えば、アニメの果たす役割というものが、80年代以後、大きく変わってきたからである。つまり、ある共通の価値観の下で作品を提示することのできたのが70年代の作品であり、80年代以降の作品はそれが徐々に薄れていったと考えられるのである。


 80年代のアニメについて、次に言えることは、小さい頃アニメを見て育った人がアニメの作り手になるのがこの時期だ、ということである。この点は、マンガについても言えることである。それまで出てきたマンガを一通り読んでいて、マンガ表現の定式が確立した以後のマンガ家による作品、そのような作品がアニメ化され始めた時期が80年代だったのである。代表的なマンガ家の名前とそのアニメ化された作品の名前を上げてみれば、例えば、高橋留美子(81年『うる星やつら』)、鳥山明(81年『Dr.スランプ アラレちゃん』)、魔夜峰央(82年『パタリロ!』)、江口寿史(83年『ストップ!!ひばりくん!』)、吾妻ひでお(83年『ななこSOS』)、などである。


 そして、まさに、この点にこそ、メタレベルの視点が入りこむ余地があると言えるだろう。つまり、ここにあるのは、対象との距離感、マンガにしろアニメにしろ、一定の距離を取って作品を作る態度である。こうしたことは、もちろん、作り手だけでなく、受け手についても言えることである。先行する数多くの作品との比較によって、新しく出てきた作品を位置づけるような態度。こうした態度が確立されていないと、パロディというものは成立しないだろう。なぜなら、そのパロディが参照している作品を作り手の側と受け手の側とが共有しているという前提がなければ、そうしたパロディ行為によって笑いがもたらされることはないだろうからである。


 かくして、80年代アニメの土壌が形成されたわけである。物語をひとつのレベルから語るだけでなく、そうした発話レベルを相対化するような視点をもって語ること、そうした前提が形成されつつあった時期が、80年代だったのである。問題は自己言及という態度である。自分の前提をその発話の対象にすること。こうした態度が、陰に陽に、様々なアニメ作品に見られるわけである。


 今日は、非常に大雑把に、アニメの歴史を見てきたわけだが、次回は、もっと詳細に、個別の作品を取り上げて問題化してみることにしたい。ここで問題にしていることを再度確認しておけば、それは、80年代アニメと現在のアニメとの差異、そこで提示されているメタレベルの差異である。われわれの自己言及の態度、それに変化があったのではないか、というのがここで検証されるべきひとつの仮説である。




追記:上記の内容に関係するエントリーを書きました。
http://d.hatena.ne.jp/ashizu/20060417