伝説からの堕落



 前クールにTVで放送していたアニメ『BECK』をやっと見終わった。『BECK』は、基本的に、立身出世を描いた作品である。平凡な一中学生に過ぎなかった男の子が音楽(ロック)に目覚め、その才能と努力のおかげで、徐々に有名になっていくという話である。


 立身出世は、日本のエンターテイメントでは、王道の物語であるだろう。『アタックNo.1』や『巨人の星』のようなスポ根ものから、『ドラゴンボール』などのバトルものまで、幅広くその形態は変えながらも、基本的な物語構造は、ほとんど同一である。立身出世は物語の骨とでも言うべきものだ。


 こうした物語は、とんとん拍子に主人公が出世していくだけだと、あまり面白くない。話を面白くするためには、様々な演出が必要である。視聴者の感情を煽り立てるような演出が欠かせないのである。立身出世ものでよく取られる手法は、視聴者のフラストレーションを高める演出をする、というものである。周囲の不理解やイジメというのがそれである。主人公は、たいてい、優しい心を持った善人であり、夢に向かって努力し続ける純真な人間である。そんな主人公を妬む、悪意を持った人間たちが出てくる。彼らは、主人公を迫害することに心血を注ぎ、様々な策略をこらす。彼らが悪いことをすればするほど、それを見ているわれわれのフラストレーションが高まっていくのであり、最終的にやってくる主人公の成功が極めて爽快なものになるのである。


 『BECK』において、そのような悪人の場所に置かれているのは、芸能人のヨシトである。主人公のコユキとヨシトとは、極めて対照的な描かれ方をしている。片や、コユキは、平凡な男子中学生ではあるが、一生懸命努力することによって、音楽の才能を磨き、その結果、実力もついてきたのだが、様々な困難に出会っている。片や、ヨシトは、音楽的には才能のない人間であるが、そのルックスの良さとバックにいるプロデューサーの力によって、芸能界で有名になり、多くのファンを持っている。才能のある努力家と才能のない有名人という取り合わせである(ちなみに、この二人は、共通の友人・南真帆を巡って、恋敵の関係でもある)。


 この二人が真っ向から闘うことになるのは、物語の最後の山場である「グレイトフルサウンド」という音楽祭である。そこで、コユキの所属するバンド・BECKは、非常に不利な条件の下で、演奏せざるをえなくなる。しかし、コユキたちは、偶然の助けも借りて、その窮地を脱し、結果、多くの聴衆から喝采を浴びることになる。コユキたちが最終的には勝利した、というわけだ。


 さて、ここまでは、立身出世ものの王道の展開だと言える。こうしたタイプの物語において問題となるのは、その終わり方である。『ドラゴンボール』のことを思い出してほしいのだが、基本的に、このタイプの物語には、終わりがない。主人公を新たな窮地に陥れることなど、非常に容易である。ひとつの山を越えたとしても、そのあとには、もっと大きな山が待ち構えているのだ。『BECK』の場合、雑誌連載もまだ終わっていないし、アニメ放送も2クール(全26回)と期限が定められている。それゆえ、その終わり方に注目することが、この作品の評価を決めると言っても決して過言ではない。


 僕は、この作品の第25話(最終回ひとつ前)を見て、もしそこでこの作品が終わっていれば、『BECK』は非常に素晴らしい作品になっただろうな、と残念に思った。グレイトフルサウンドで伝説的な演奏をしたBECKのメンバーたちは、その日でBECKを解散し、メンバーはそれぞれ別の道を歩いていく。メンバーのひとりであるサクは、コユキの親友であるが、突然遠くの街に引っ越すことになる。サクが引っ越しをする前日の夜、二人は、コユキの家で、朝まで話し合う。雪の降る早朝、二人は、数年後に、再びBECKを結成することを約束して、別れる。


 もし、この回が最終回であれば、BECKを再結成するという二人の約束は、別の意味を持ってくることだろう。高校生のときにする約束などというものは非常に果敢ないものだ。一年後のことさえ、確実ではない。「きっと戻ってくる」というサクの言葉も、その点で、非常に頼りないものだ。それゆえ、二人の約束は、ただお互いの友情を確認するためだけに行なわれたのではないか、という解釈が成り立つのである。約束が果たされることはおそらくないだろう。二人が再会することすら、もうないかも知れない。そのことを分かった上で、コユキもまた、再会を約束する。一人残されたコユキは、雪の降る中、自分のバンド生活を振り返って涙を流す。まるで一夜の夢のようだ。青春時代は終わり、BECKは一夜限りの伝説のバンドとなる。


 もし、こんなふうに終わっていれば、これほど素晴らしい青春アニメはなかったことだろう。しかし、非常に残念なことに、その次の回が最終回であって、その最終回というのは、再結集したBECKのメンバーたちが全米ツアーに出かけるという話なのである。つまり、約束は果たされてしまったのだ。これは蛇足という他ない。しかし、この最終回は、それが蛇足ではあっても、真の最終回という名には相応しいかも知れない。なぜなら、人間は、間々あることだが、死ぬべきときに死ぬことができずに、無様にも、生き残ってしまうことがあるからだ。


 「伝説」という言葉は、死んでいった者たち、消えていった者たちに与えられる名称だろう。生きている者たち、現在活躍している者たちは、伝説とは何の関係もない。彼らは、ただ、日々の生活を送っているだけだ。『BECK』の真の最終回とは、こんなふうに、BECKという伝説的なバンドが凡庸なバンドのひとつに成り下がってしまった、その堕落を描いているのである。


 伝説は美しい。しかし、それは死者の美しさだ。そうした死者たちの上に、死ぬことができずに、無様に生き残ってしまった人間たちが立っている。坂口安吾が言うような意味で、堕落してしまった人たちだ。伝説からの堕落。それをきちんと描いたこのアニメは、評価に値する作品ではないだろうか?