アニメとマンガの相互関係

 以前から思っていたことだが、アニメとマンガとは、相互補完的な関係というか、互いが互いを映し出す鏡のような関係であるように思える。


 まず、マンガはアニメ的である。これは、何よりも、手塚治虫のマンガについて言えることである。手塚治虫のマンガとは、言ってみれば、アニメの代わりに作られたもの、自分で作ることができなかった理想のアニメの代償的な表現ではないだろうか? それゆえ、手塚治虫のマンガは、極めて躍動的である。そこにおいて、登場人物たちは常に動いている(その理想的形態はミュージカルである)。手塚治虫のマンガは、それをアニメとして読んだとき、殊更に生き生きしてくるものだと言える。


 次に、アニメはマンガ的である。これは、手塚治虫の作ったTVアニメのことを思い出せばいいだろう。そこにおいて、登場人物たちは、まるでマンガのように静止している。そして、そんなふうに静止した絵を補うために、様々なマンガ的表現、マンガ的記号が使われている。大げさな効果音は、マンガの擬音のように、静止した絵を迫力あるものにする。TVアニメの多くがマンガの原作を持っていて、動くマンガとしてその地位を得てきたと言える。


 上記の整理は、もちろん、手塚治虫の憧れたアニメがディズニーのアニメだったということを指摘しない限り、不十分なものであるだろう。つまり、そこで理想とされたアニメは、よく動くアニメ(フルアニメ)だったということである。


 しかし、その後、アニメとマンガとは一種閉じた関係を作り、マンガからアニメへと、また、アニメからマンガへと、相互に影響を与えた末に、独特の表現を確立していったことは間違いない。そうした影響関係の歴史と表現技法の発明の歴史とを辿っていくことは、非常に面白い試みになると思うのだが、現在の自分には、それを行なう力がない。いずれ、そのうち、部分的にでも、そうしたことを体系的に行なってみたいと思う。