アニメ『かんなぎ』に対する不満――2008年秋アニメについての雑感

 今年の10月から始まって現在放送されているアニメ『かんなぎ』は、『涼宮ハルヒの憂鬱』や『らき☆すた』の制作に関わった山本寛が監督をしているという点で、現在最も注目を浴びている作品だろうし、僕自身もそのような文脈で期待していたのだが、放送が2ヶ月経った時点での感想を述べてみると、この作品は、いったいどこへ向かっていこうとしているのかという方向性のよく分からない作品だと言える。


 もちろん、この作品が、他の無数のTVアニメと比べてみたときに、比較的上質の作品であることは間違いない。オープニングのアニメーションは実に素晴らしい。ナギが歌っているアニメーションのクオリティが高いというだけでなく、間に挟まれる似非アイドル物語の演出も素晴らしい。加えて、オープンングの曲もエンディングの曲も非常にいいと思う。同様に、本編の演出でも、注目に値する場面がいくつもあった。


 だが、それにも関わらず、この作品を全体として眺めたときに、作品の一貫性というものが非常にはっきりしないように思える。前のエントリに書いたが、山本寛は、この作品に関して、ギミックよりもドラマのほうを重視する、ということを言っている。それにも関わらず、ギミックが多いというのは、そのことに関しては、僕は、戦略的には正しいと思っている。ギミックというのは、つまるところ、多様な文脈を作品のうちに引き入れる技法ということだろうが、そんなふうにして作品が豊かになるのであれば、そういうことはどんどんやってしかるべきだろう。しかしながら、そんなふうにして多様されたギミックが成功しているのかどうか、という問題がある。この点で、僕は、失敗しているのではないかと思うのである。


 今期のアニメで、ギミックの使用が成功している作品の名前を上げれば、それは、『まかでみ・WAっしょい!』だろう(ファミ通やアキバ文化への言及)。しかし、この作品でギミックが成功しているのは、この作品が極めて閉鎖的な作品だからである。この作品は非常に閉鎖的であり、この作品が好きな人と嫌いな人とがはっきりと分かれると思うのだが(というよりも、この作品は、一部の人だけが見ればいい、というような作りになっているように思える)、そのような中で用いられるギミックは、内側にいる人にとって、非常に心地よいものとなるだろう。そうしたギミックは、内輪ネタとほとんど同義である。おそらく、山本寛には、このような閉鎖性を嫌うようなところがあって、作品をより開いたものにしようと努めているのだろう。だからこそ、ギミックよりもドラマを重視しようと言っているのだろうが、そうした点で、『かんなぎ』に散見されるオタク文化への言及が、作品のバランスを崩しているように思えるのだ。


 だが、それでは、『かんなぎ』は、ドラマが充実していると言えるのか? とてもそうとは思えないというところが僕の不満に思っているところなのだが、それは、物語の重要なところで、ギミックを使用してしまうからであるだろう。作品全体のバランスを考えたときに、もっとドラマに重点を置くべきところに、ギミックが使用されてしまう。作品が開かれたものになろうとしているときに、作品が閉じてしまう。こうなってくると、いったいこの作品がどこへ行こうとしているのか、作品の力点がどこにあるのか、そういうことがよく分からなくなってしまうのだ。


 ドラマというのは、人間と人間との関係性の重視であり、とりわけ、そこで行なわれるコミュニケーションの描写を重視する、ということだろう。個々の具体的なコミュニケーションの描写を重視するということは、様々な人間関係の定型を退けるということである。このキャラはツンデレだから、こういう場面ではこういう台詞を言うはずだ、というのではなくて、それぞれのキャラクターが立っている具体的な状況から、どのような台詞や表情が出てくるのか、ということを考えるということだろう。ひと言で言えば、ドラマを重視するというのは、キャラクターが生きた人間として立ち現われなければならない、ということだろう。


 こうした点でいうと、今期のアニメで、ドラマを非常に上手く提示できている作品は、『とらドラ!』である。この作品に登場するキャラクターたちも、ある種の定型から出発しているかも知れないが、しかし、ひとつひとつの具体的な場面で、そうしたキャラの定型には収まり切れない台詞を述べたり表情をしたりすることがある。キャラがしっかりと肉体を持つような瞬間があるのだ。こうした人間関係を描いているという点で、『とらドラ!』は非常に素晴らしいアニメだと思う。


 先日、知り合いのIさんと、今期のアニメについて話し合うという会を催した。僕もIさんも、今期のアニメのベストワンは『とらドラ!』である、ということで意見が一致したのだが、そのときに、Iさんが興味深いことを述べていた。それは、『ハルヒ』→『らき☆すた』と続いた流れが、『かんなぎ』に向かうと見えて、実際は『とらドラ!』に向かった、というものだった。Iさんの話は、ここ数年のサブカルチャーを巡る言説的問題も含んだ大きな話だったので、ここで再現することは僕にはできないが、結局のところIさんが言いたかったのは、山本寛が敏感にも察知していたようなドラマ重視の傾向というものが、つまり、ネタ的なもの(ギミック)からベタ的なもの(ドラマ)への移行が、『かんなぎ』ではなく『とらドラ!』において実現されていた、ということなのだと思う。果たして、Iさんの現状認識が正しいのかどうかという問題もあるが、『とらドラ!』のドラマが素晴らしいという意見には僕も大いに賛成したい。


 『かんなぎ』という作品の方向性や一貫性が見出せないという問題は、山本寛だけの問題ではなく、アニメ制作会社のA-1 Picturesの問題でもあるかも知れない。このアニメ制作会社は、設立されて間もないようだから、まだその方向性を見極めるのは難しいが、少なくとも、今期の『黒執事』もまた、その方向性がよく分からない作品であるし、前のクールにやっていた『鉄腕バーディー DECODE』も、あまり安定しなかった作品だったように思う。ここで方向性や一貫性と言っているのは、いったいどのようなアニメを作りたいのかというような、画面の持っている雰囲気のことであり、今期のアニメで言えば、『屍姫』などは、「ああ、これはガイナックスの作品だなあ」とすぐに思えたわけだが、そんなふうに、これまでその制作会社で作られた作品との間に見出される一貫したスタイルというものがあるはずである。監督や作画監督などの個々のスタッフにもスタイルというものはあるだろうが、同様に、制作会社にもスタイルはあるだろうし、そうしたスタイルとアニメ化される原作作品との相性の良さ/悪さといった問題もあることだろう。この点で、『とらドラ!』は、J.C.STAFFとの相性が非常に良かった作品だと言える。


 今期のJ.C.STAFFの作品は、『とらドラ!』の他に、『とある魔術の禁書目録』もあるが、こちらの作品も、制作会社との相性の良かった、非常に良質な作品だと言える。しかしながら、話がやや逸れるが、『禁書目録』は、個人的には、少々物足りないところがあるアニメだと思っている。この作品は、作画のクオリティが非常に高くて、見た目がすごく美しいアニメだと言えるが、ただ単に美しいだけだと、少々物足りないわけである。作画や演出には、崩すことによって生まれる面白さというものがあるが、そうした側面をこの作品は欠いているように思える。つまり、どこか平板な印象を与えるのだ(例えば、『とらドラ!』のキャラクターたちが表情豊かな柔軟さを見せるのに対して、『禁書』のキャラクターたちは、かなり硬質な表情を浮かべているように思える)。


 『かんなぎ』に話を戻すと、つまるところ、僕が言いたいのは、いったいこの作品がアニメーションの醍醐味というものをどこに見出しているのかがよく分からない、ということである。『屍姫』や『ケメコデラックス!』を見ていると、アニメーションの醍醐味が動きにあるということがよく伝わって(動きの志向性がそれぞれの作品で異なるとしても)、そういうところでは理解しやすいわけだが、『かんなぎ』の場合は、果たして、どうなのか。山本寛は、動かすことよりも止めることのほうを重視しているようだが、それは、どうしてなのか。止めることの面白さというものがアニメーションにあることは僕もよく分かっている。今期のアニメで言えば、『天体戦士サンレッド』などは、わざとぎこちない動きをさせることによって、作品の雰囲気を十全に醸し出せる見事の演出をしていると思う。しかしながら、『かんなぎ』は、『サンレッド』ほどの極端なディフォルメをしているわけではない。


 こうしたところがよくわからないので、僕としては、『かんなぎ』に対する不満が徐々に募っているのである。前のエントリに書いたような、80年代のドラマへの参照などは、(そうしたギミックに見事にひっかかった)僕としては、もっと推し進めてほしい思っていたのだが、そのような、ある種のノスタルジーやレトロさが作品の前面に出ているわけでもない。


 いったいこの作品は何なのだろう、というのが現在の僕の正直な感想なのだが、この点については、作品を最後まで見ていく中で、もう少し考えていきたいと思っている。