アトムは誰に殺されたのか?



 昨日は日本人の死の美学の話をしたので、今日も引き続き、それに関わる話を。


 人はいかに死ぬべきか。このことは昔から、日本人にとっての課題だったように思える。別に日本人だけでなく、あらゆる人間にとっても課題であるだろうが、日本においてはそれがひとつの定型をなしている。死を美化するというのがまさにそれである。


 サブカルチャーにおいて登場人物たちがどのような死に様を見せるか、ということに注目するのは非常に興味深い。現在の作品にも共通して見出せる登場人物の美しい死に方、それは他人のために死ぬこと、自己犠牲としての死である。


 すぐに思いつく例は、アニメ『鉄腕アトム』の最終回だろう。詳しいストーリーは忘れてしまったが、太陽の膨張か何かを抑えるために発射されたミサイルが軌道を逸れてしまったために、アトムがミサイルの上に乗っかって、自分の命を顧みずに、太陽までそのミサイルを運んでいく、という話だったように思う。


 この最終回を一度見てみれば分かると思うが、この自己犠牲的行為は突然行われる。つまり、アトムがそうした自己犠牲を行なう伏線が最後までまったくなく、終了5分前くらいになって突然アトムは自分の命を捨てるのである。今ではこの最終回は非常に有名だが、当時リアルタイムでこのアニメを見ていた子供はさぞかしびっくりしたことだろう。「いつものようにアトムが地球の危機を救ってくれて万々歳だ」と思っていたら、突然アトムが「さようなら、みなさん」と言い出して、死んでいくのである。この急展開は子供たちにとって相当ショックだったはずだ。


 この最終回について、作者の手塚治虫はどのような考えを持っていたのだろうか? 彼のエッセイを引用してみよう。

 アトムの最後がブラウン管に乗ったとき、かなりのこどもたちがその死を信じず、なかには泣き出した者も多かったと聞く。四年間、二百十数回にわたるテレビ・アトムの功罪は種々あったろうが、とにかく、数多くのこどもたちに惜しまれて終わったことは、実に有難いことだと思う。さまざまなテレビ・マンガ論やアトム論が賑わい、四年の間にテレビのこども向け番組を始め、マンガや流行など、大きな変動があった。スタッフは疲れ果て、極端なマンネリズムに陥り、ラストの頃は無惨な状態であった。
 終了がきまったころ、かなりの取材攻勢をうけた。さまざまな記者が同じように繰り返した。「アトムは誰に殺されたのですか?」
 ちょうど「判決」が二百回をもって打ち切りとなり、なにか政治的圧力によるものではないかという噂が一波瀾捲き起こしたあとだけに、その質問は執拗だった。あのブーム、あのこどもたちの支持を得ながら止めざるを得ない、その裏には、必ずなにかあるとにらんだわけだ。だがぼくはひとこと言っただけである。「疲れましたよ」
(「アトムの死」、『手塚治虫大全1』、マガジンハウス、1992年、93-94頁)

 この手塚治虫の文章を読むと、「地球の危機を救うために自らの命を捧げたアトム」という現在流布しているイメージは、後から作られたものだということが分かる。実際のところは、手塚治虫も言っているように、ただ単に「疲れた」のである。つまり、制作スタッフだけでなく、アトム自身も、地球の危機を救うのに、もう疲れ果てたのだろう。だからこそ、あんな投げやりな形で、突然、自己犠牲的な行為に走ったのではないか? これは衝動的自殺とほとんど同じではないだろうか?


 「アトムは誰に殺されたのか?」という問いに答えるのであれば、それは、やめたいのにやめさせてくれない、資本の論理といったものだろう。本当はもうやめたいのだが、周囲がやめさせてくれない。従って、何となくずるずると、仕事を続けていってしまう。ストレスが溜まり、疲れ果て、自分のやっていることに疑問を持ち出す。そんな時、踏み切りにぼおっと立っていると、ふと電車に飛び込みたくなる衝動に駆られる、というわけだ。そうした衝動がアトムの最後にも見出せないだろうか? つまり、アトムが最後に言いたかったこととは、「もう疲れました。さようなら、みなさん」ということではなかったのか?


 こうした死を自己犠牲的な死として捉えるのは、戦場で自己犠牲的な死を果たした人間を「軍神」として崇めたてるのと同じく、後に残った者のエゴではないだろうか? 本当にアトムのことを思うのであれば、アトムの活躍に期待しないことこそが一番ではないのか? 使えるだけ使って、使えなくなったら、はい、さようなら。そうしたヒーローたちは、今もいっぱいいるのではないか?