『エヴァの喰べ方、味わい方』(その1)

エヴァはTV放送が開始された時点で、すでに制作の遅れは危機的な状況を呈していた。(中略)したがって、問題の最終二話は、単純に監督の強い自己表現だけでは説明できない、外在的な条件も大きかったと見るべきであろう。 (いがらしもも「庵野の開かれた態…

『けいおん!』と現在時の肯定――京都アニメーションにとってのチョココロネ

毎度のことだが、新作アニメの消化がスムーズに進まない。前クールのアニメもまだかなり残っている。 そんな中でも、話題の『けいおん!』は見ているのだが、すでにネット上でかなりの人がこの作品について語っているので、別に今この作品をあえて問題にしな…

『涼宮ハルヒちゃんの憂鬱』と『にょろ〜ん☆ちゅるやさん』についてのメモ

『涼宮ハルヒちゃんの憂鬱』と『にょろ〜ん☆ちゅるやさん』という二つのアニメ作品を問題にするにあたっては、まず、これらの作品がYouTubeという動画投稿サイトで発表されているという、その物理的な条件について考える必要がある。 劇場アニメ、テレビアニ…

個人的にその微妙さを推したい2008年のテレビアニメ・ベスト10

『このアニメがすごい!2009』のランキング(今日もやられやく) http://yunakiti.blog79.fc2.com/blog-entry-2689.html マクロス ギアス 墓場 とらドラ 00 夏目 かんなぎ tt ポニョ 絶望 このランキングに取りたてて異論を出したいというのではないけれど…

今後は極力どうでもいい記事を書いていきたい

いつもこのブログには長めの記事を書いているのであるが、長い記事ばっかり書いていると疲れてきて、更新するのが面倒になってくるので、今後は短めの記事を中心に、極力どうでもいい話題を適当に書いていきたいと思っている。 別にブログに文章を書かなけれ…

『ルパン三世』はどう変わるのか――『ルパン三世VS名探偵コナン』を見て

先日放送されたスペシャル番組、『ルパン三世VS名探偵コナン』をやっと見たので、思うところを書いておきたい。 毎年放送されている、いわゆる「ルパン・スペシャル」について、僕は、基本的に、冷ややかな目で見ていた。見るときもあり見ないときもあるとい…

喪失感と諦念――アニメ『WHITE ALBUM』に見出される時代認識

『WHITE ALBUM』のアニメを最後まで見たので、またちょっと感想を書いておきたい。 この作品を見ていて個人的に気になったのは、昭和と平成という時代の違いがどこにあるのかとか、80年代はどういう時代だったのかとか、そのようなことである。このアニメが…

神なき時代の正義と悪――『機動戦士ガンダム00』の物語に関して

大した感慨もなく最終回を見ていたのだが、アニメ『機動戦士ガンダム00』について、これまで考えてきたことをざっと書いておきたい。 まず、この作品のアクチュアリティ(現代性)という点について。この作品は、「ガンダム」という古い物語をいかにして現代…

ローカルな街で現実と闘うということ――アニメ『天体戦士サンレッド』について

アニメ『天体戦士サンレッド』を最後まで見た。この作品の舞台である武蔵溝ノ口には何度も足を運んだことがあったので、非常にリアルに描かれる駅前の風景などを見ているだけでも楽しめるところがあった(もちろんギャグも面白かったが)。 この作品を見てい…

アニメ『とらドラ!』における家族の問題――『CLANNAD』とも比較して

アニメの『とらドラ!』の最終回を見た。今クールは、『CLANNAD AFTER STORY』という、『とらドラ!』とテーマ設定のところでいろいろと重なる作品があったので、『とらドラ!』を見ているときでも、『CLANNAD』とどう違うのかといったことをいろいろと考え…

コミュニケーションの再構築のために――アニメ『夏目友人帳』について

現在『夏目友人帳』のアニメの第二シリーズが放送されているが、僕はまだ、第一シリーズのほうをちゃんと最後まで見ていなかったので、ひとまず、第一シリーズのほうを最後まで見てみた。第二シリーズを見る前に、この作品を見た感想をちょっと書いてみたい。…

アニメ『キャシャーン Sins』の現代性――『スカイ・クロラ』とも絡めて

アニメ『キャシャーン Sins』を最後まで見たので、感想を書いてみたい。 アニメのリメイク作品というものは無数にあるが、それらは概ね、失敗する傾向にあるように思う(もちろん、いくつかの例外はあるが)。というのは、そうしたリメイク作品の多くは、ア…

家族の問題をどう理解すればいいか――TV版『CLANNAD』と劇場版『CLANNAD』とを比べてみて

アニメの『CLANNAD』があまりにも良かったので、今度、原作のゲームにも手を出してみようと思っているのだが、その前に、出崎統が監督を務めた劇場版の『CLANNAD』を見てみた。京都アニメーションのTV版と比べてみると、とても同じ原作のゲームから作られた…

2009年冬アニメ雑感

もうすでに、いくつかの作品が最終回を迎えているわけだが、自分が見ている範囲で、最近のアニメについて、感想を少し書いてみたい。 まず、ネットでやや否定的な意見が出てきている『CLANNAD AFTER STORY』であるが、僕は、単純に、これは非常に素晴らしい…

アニメ『鉄のラインバレル』は今日のリアリティにどのように立ち向かったのか?

新作アニメ『鉄のラインバレル』の第1話を見て思ったこと http://d.hatena.ne.jp/ashizu/20081010#1223611140 アニメ『鉄のラインバレル』が放送され始めた当初、いろいろな期待を込めて、上記のような記事を書いたわけだが(この記事ではコミュニケーション…

サブカルチャーと政治的なもの(その1)――すでに常に部分的なものであるというアイロニー

今、大塚英志の『サブカルチャー文学論』を読んでいるのだが、江藤淳のサブカルチャー観を問題にする次のような記述に、僕はかなりガツンとやられた。 ところで江藤がここで「サブカルチュア」をいわゆるアニメやコミックといった具体的な領域を指して言うの…

来るべきアニメ批評について――津堅信之さんの記事を読んで

アニメージュ オリジナル(津堅信之のアニメーション研究資料図書室) http://d.hatena.ne.jp/tsugata/20081113/1226578800 今更であるが、こちらの記事を取り上げて、ここで語られていることについて少しばかり問題にしてみたい。 昨年は、アニメ批評のこと…

貧しい日本文化の表現としてのアニメーション

現在、日本のみならず、全世界が経済危機という名の荒波に飲み込まれているわけだが、そんな時代状況だと、今後日本はいったいどんな国になっていくのだろう、というような日本の行く末のことを考えないではいられない。しかしながら、このような懸念を、僕…

暴力とコミュニケーション(その3)――秋葉原無差別殺傷事件と加藤智大について

これまで、二回、このブログで、「暴力とコミュニケーション」という題で記事を書いてきたが、このようなテーマ設定を提示したのは、2008年6月8日に起きた秋葉原無差別殺傷事件にショックを受けたからである。 当時は、いろいろな理由から、この事件を真正面…

アニメ『かんなぎ』に対する不満――2008年秋アニメについての雑感

今年の10月から始まって現在放送されているアニメ『かんなぎ』は、『涼宮ハルヒの憂鬱』や『らき☆すた』の制作に関わった山本寛が監督をしているという点で、現在最も注目を浴びている作品だろうし、僕自身もそのような文脈で期待していたのだが、放送が2ヶ…

アニメ『かんなぎ』に漂う昭和の香り

アニメの『かんなぎ』を見ていて、この作品は、何というか、すごく昭和の香りのする作品だなあ、と思った。しかし、それは単に古臭いとか懐かしいというのとは違っている。こんな作品をゼロ年代の終わりにやるなんて時代錯誤だ、とかそんなことではない。む…

新作アニメ『鉄のラインバレル』の第1話を見て思ったこと――暴力とコミュニケーション(その2)

以前、このブログで、アニメ『ブラスレイター』を取り上げて、暴力とコミュニケーションとの関係について問題にしたことがあったが*1、力にまつわる諸々の問題とコミュニケーションとの関係は、極めて密接である。簡単に言ってしまえば、力を求めることはコ…

今日におけるヒーローの課題、あるいは、善悪の彼岸としての神的暴力について

ヒーローの役目とはいったい何であろうか? ヒーローとは力を持つ者のことであり、その力をどのように使うのかが問題となる。ヒーローには普通の人にはできないことが期待される。そのため、ヒーローはしばしば悪の存在と闘う。しかし、悪の存在とはいったい…

近年のアニメ作品における同居と調和のテーマについて――家族的関係がはらむ暴力に関して

極めて今日的なテーマとして暴力というものがあるだろう。いったいなぜ暴力が問題になるかと言えば、暴力を問題にする観点はいくつもあるだろうが、まずひとつ言えることは、われわれが他者と関わるときに、その他者が極めて暴力的な存在として浮かび上がっ…

日常の脆弱な関係性から非日常の強固な関係性へ――アニメ『セキレイ』について

現在放送中のアニメ『セキレイ』では、関係性(所属関係)の移行が問題になっている。浪人生である佐橋皆人は、突然、セキレイ計画と呼ばれるバトルロワイアルに巻き込まれることになる。結(むすび)という名のセキレイとの出会いが、彼の日常生活、彼の人…

『人魚姫』の持つ今日のリアリティ――『崖の上のポニョ』と『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』について

最近、偶然にも、アンデルセンの『人魚姫』を現代風にアレンジした二つの作品を見たり読んだりした。ひとつは、宮崎駿の最新作『崖の上のポニョ』であり、もうひとつは、桜庭一樹の小説『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』をマンガ化した作品である(漫画:杉…

コンプレックスと承認の問題――神尾葉子『まつりスペシャル』について

(コミックス第1巻を読んでの感想) 少女マンガの伝統的なテーマのひとつに承認の問題がある。コンプレックスを抱えた女の子が、いかにして他者(男性)から承認を受けるのか、そして、そのことによって、いかにして自分に自信を持てるようになれるのか、と…

2008年夏の新作アニメ雑感

新作アニメをざっと見たので、感想を少し書いてみたい(もちろんチェックした限りでだが)。1話か2話しか見ていないので、内容には深く入らず、ちょっとしたメモということにしておきたい。 今期の作品で非常に素晴らしかったのは『鉄腕バーディー DECODE』…

個人に鬱積する集団の暴力、補填不可能な絶対的損失――『モノノ怪』と『地獄少女』

『モノノ怪』の「化猫」というエピソードで問題になっているのは、個々人のささやかな利己心や無関心が、あるひとりの人間を絶望的な状況に追いやるということである。個々人の意識の上では、他人の利益を損ねたり、他人を悲惨な状況に追いやることなどとん…

暴力とコミュニケーション――アニメ『ブラスレイター』について

現在放送中のアニメ『ブラスレイター』は、暴力とコミュニケーションを巡って、様々な問題を提起している作品だと言える。暴力とコミュニケーションとの関係は、端的に、こう言えるだろう。話すことができないとき、話すことが無力であるとき、そこに暴力が…